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 ニ.儲からなければ何もしようとしない性質、儲かるならばどのような事でもしてしまう性質、即ち、私達の強欲と怠惰は分配問題における消化不能な棘である。もし強欲と怠惰が私達の中から一掃されれば分配と生産の、したがって経済的なあらゆる苦悩は消失する。農民は黙々と耕作して生産物を全員にタダで配り、残れば捨てる。工員達も黙々と製作して希望する全員にタダで渡す。余計に作るということはない。ということは剰余価値(搾取の素)が存在しない。農民も工員も品質や技術の向上に努めるが、それは儲ける為ではない。プロレタリア独裁の光栄を実現するためである。彼らの内面がどのように人間離れのしたものであるか、それを計り知る事も、想像することも出来ない。こうして分配の問題と生産の問題とが解決すると、財所有分布の波を立てて争う必要もなくなってしまって、経済上の際限のない闘争も搾取も打ち止めが可能である。

Marxは制度(物質)が人(精神)を規定すると云い、階級殲滅という制度革命をすれば人も変ると考えて、これをもって科学的唯物論であると自讃した。所有し、支配し、搾取をする階級を絶滅させればプロレタリアが台頭して所有も搾取もない平等な世の中が来ると思ったのだが、そのあとレーニンが実際にやってみたら搾取根性が又、神聖なるプロレタリアさん達にも天から平等に授けられていたので、折角の科学的唯物論の非科学性が前面に出てしまった。

この共産主義の実験は偉大であったかは別として、巨大であり、同時に悲惨、醜怪であったが、誰にもこれを嗤う資格はない。共産主義革命実験は、人間が、これを歴史の必然ででもあるかのように錯覚して、一度はやって見なければならなかった。

しかも、この実験は最極端なまでの狂騒と激情を必要とした。

しかし、この歴史の必然は科学的唯物論的な必然ではない。それは私達が持つ平等への願いと、これと裏腹な一体をなす所の不平等・差別への衝動との葛藤がもたらす世界対称性構造に準拠する必然である。されば、この歴史の必然は色々に形を変えて繰り返されるという可能性を持つ。

共産主義の実験が旨く行かなかったからといって人類の内部に渦巻く毒ガスの充満過程がこれで止まる保証はない。

ロシアの現代作家ユーリー.ポリャコフが「世界にソ連、共産主義が無かったならば、資本主義世界は現在のような形になっていただろうか」と言った。

確かに資本に対する労働の鋭い対立が、一方的な資本による征服を克服して、もっと中庸な方向に向けさせ得たのであり、更に、資本主義が自由や公正の想念と結合し自らの優越性を実証しようとした原因の一つに、マルクス主義イデオロギーと対決し勝利しなければならなかったという事情があったのである。