富の偏在対均等、ならびに階級の存在
A.マルクス、エンゲルス思想の要約と批判
82.所有権の成立、その本源的蓄積
イ.所有権の確定
-所有権はa-priori(=ア・プリオリ=本質的、根源的、経験以前に経験に先立って)なものではない。所有権は個人による財物への支配権能を権利として聖化するという人間同士の了解によって観念化した。所有の始原は、先取り、詐欺、強奪、排除、であるにすぎない。
このような所有権発生の始原形がもっと巧妙に進化したものとして、搾取がでてくる。
搾取とは資本の所有者が労働者に10単位の仕事をさせてそのうちの7単位を搾り取ることを云う。
労働者には3単位が還元されるのだが、この3単位では、労働者は全く金を残すことが出来ず、彼の明日の労働が出来るための最小の生活レベルを維持することで3単位の全てが費消されてしまう。
ロ.所有形態のアナログ化
-所有権の単位がデジタル式からアナログ式に進化をする事-これが、搾取が可能性であるための条件である。
アナログ化によってコツコツと小刻みに所有権を貯めることが可能になり、労働者を最低一人でも雇用できるくらいの所有権が貯り、なおその上に機械や資材を購入できる余裕があればその者は搾取資本家の卵として合法的な搾取を行うことが(少なくとも理屈上では)可能になる。所有のアナログ化した最小単位は貨幣の最小単位で表現される。
そして人々は貨幣の所有によって所有蓄積と所有計量のアナログ化に成功する。
「貨幣地代は、農民が自由に土地を所有できるようにする。・・・貨幣地代を払う農業経営者(=借地資本家)がでてくる。・・・(彼等は)農村賃金労働者を搾取する。・・・」(「資本論」第三巻第六篇47章-資本主義的地代の生成)
ハ.商品と貨幣
-所有を蓄積する方法がアナログ化するには、財や労働力の商品化が必要である。商品化とは、財、ならびに財を産み出す労働(=やはり財の一変形である)が、貨幣で測った交換価値一般として、抽象的に扱われる事を云う。財はその具体的な効用が、抽象化された効用一般に還元され、したがってそれは交換価値として、所有、交換、搾取の各過程において貨幣を媒介にして市場に出てくる。
貨幣とは、金(ゴールド)などのようにある特別な商品のことであり、我々はこの特別な商品を用いて(=通常は金が用いられたのだが)色々な財の交換価値をその特別な商品の交換価値で置き換える(=測定する)ための必要から貨幣が発生したとマルクスは言う。そうすると貨幣という特殊な財は、それを使えば、何時でも、誰とでも、何とでも交換が出来る財として人々に所有され、結局、[物持ち=金持ち]ということになって、金持ちが貨幣資本化として姿を現す。どのようにして人は金持ちになるのであろうか。
勿論、金持ちになる方法は、宝くじ、銀行強盗、ケチにして貯める、株や商品投機、など色々あるが、最も本質的・普遍的で、最も巨大である方法-それは労働搾取である。
人は労働搾取によって金持ちになる。だが金持ちでないと労働搾取ができない。ならば一体そのどちらが先であるのか.この疑問に対しては雪ダルマ効果がその答えを与える。
ニ.雪ダルマ効果-
雪ダルマ効果とは、権力や財力が省力的、効率的に集中するような効果の事であり、それは次のように働く。
(1).権力に加担することが、権力を獲得する近道である
(2).したがって、権力の周りには権力が集中する
この作用が資本の集中にも当て嵌まる。
(a).資本は労働が産出した財の分配において、資本サイドの取り分を極大に、そして労働サイドの取り分を極小にすることができる
(b).したがって、資本の周りには資本が集中する
資本家の基本的属性が搾取極大化であると仮定するならば、資本家は労働者に対して(労働者による労働力の所有以外には)一切の所有を禁止する事ができる。
かくして、労働者が労働力以外の財の所有者として直接的に、ということは自力で、資本家に出世をすることが不可能な仕組みができあがり、資本の雪ダルマ的な膨張と労働者の絶対的な貧窮化が加速進行しつつ、階級の二元化が完成する
ホ.労働の定位
a.あらゆる財(経済価値)のうち、労働という財のみが生産力を持つ。労働が全ての財の生産者である。
b.色々な種類の労働は、その色々な性質(能力、責任、危険度、・・・その他)を一定の抽象的な尺度で測って量的に表現することができる。
標準的な労働量単位を抽象的な尺度として決めることができて、この単位を使って全ての労働を計量する。
一方、労働が生産物の唯一の源泉であるから、全経済価値物の計量単位もまたこの標準労働量単位をもって計測し表現することができる。
c.労働力は労働者階級の人々のみがこれを担う。そして労働者階級に属する全ての人間は労働力以外に財産というものを持っていないし、これからも持てない。
d.あらゆる商品(=財=経済価値)の中で、労働力のみが搾取の対象になれる。何故か.
ある労働力の総価格(=その労働力による総生産物の価格)と、その生産に費やした労働力消耗分を回復(=再生産)させるに必要な費用が乖離していて、その乖離分が搾取可能であるからだ。
搾取額
=[その労働力による総生産物の価格]-[投入総労働力の価格]
=[その労働力による総生産物の価格]-[労働力の消耗分の価格]
=[その労働力による総生産物の価格]-[労働力の再生産費用]
この乖離は労働力という商品が生産力を持つ唯一の商品であり、したがって労働力(=労働者)は、自分が必要とする分を超えてもっと沢山生産することが出来る唯一の商品であることを示す。
[(注意)~機械も働いて生産する。しかし、機械そのものを生産したのは労働力であり、しかも、機械は生産によって発生した機械の損耗分を超えて剰余価値分を生産すると云う事はない(・・・と、一応そのように仮定しておく)]
ヘ.資本の定位
a.資本家階級は労働力以外の全ての財を所有する階級である。彼等はその所有する財を使って商品としての労働力を買い、この労働力を費消して、費消分よりも多くの価値を持つ商品に転換する。
b.資本の経済運動は生産ではなく所有と支配である。資本は直接に経済価値を創造することが出来ない。
[(注意)~貸付利息は搾取機能の前貸し料でしかない。投機利益は損をした者の犠牲の上に成り立つ。それは生産ではなく、掠り取りの一種でしかない。]
c.資本は互いに共食い闘争をする。資本は勝とうとして労働搾取を限界まで追求する。それは増殖し、市場を占拠し、ライバルを呑み込もうとする為である。
ト.階級の敵対的な二元化
以上、労働と資本、二つの定位により明らかになるのは、互いに相容れる事不可能な、二つの階級の敵対である。しかし、階級自体の敵対的な互いの不可侵性に対して、人的な交通ができるという事、それが実際行われているという事をMarxは承知している。それは資本家の没落や労働者の出世である。
「資本階級の中に、労働者階級の最も優れた人物を採り入れる能力があればそれだけ資本階級の支配力は強く危険なものとなる」(「資本論」第五編第七巻36章-資本主義以前)
Marxは又次のようにも言う。―
資本家は歴史が命ずる所の必然によって階級を担う宿命の中にいるのだから、労働者階級による資本家階級に対する階級的殲滅戦においては、不寛容と容赦のない殲滅を、しかし、階級を担わされている現実の人間に対しては理性と導きを。
Marxは憎悪、怨恨、羨望が惹き起す激情の開放を懸念し禁止する。だが実際には階級と人間とを分離するなどという事はできない。階級は、人間がそれを担うから階級たり得て、人間の欲情と意思が常に主役である。必然、階級的憎悪は執拗に人間を標的にし続ける。その事は全ての共産主義的実験の中で例外なく見られた。憎悪のエネルギーなくして革命が成し得るとも思われない。
そして憎悪は常に「意思する者」を対象にする。憎悪が構造や概念や物体に向けられることはない。
チ.プロレタリア(労働者階級)独裁
労働者階級が資本化階級を打ち破って労働者階級だけの世界が来るという。これは歴史の必然である。
その科学的、唯物論的、弁証法的、な証明は、次のように二つの必然的な過程の必然性を証明する事によって行われる。
(注)~唯物論=経済と制度が宇宙真理の全てであるという論
~弁証法=敵対矛盾から統一に至る必然性を証明する論法
a.階級の敵対的二分法の原理により、資本による労働搾取量が極大に、資本家の数は(その共食い的な性質によって)極小に、そして労働者の貧窮が限界に達し、労働者の人口が極大値を取り、結局資本は自らの体重によって倒壊する。何となれば、資本が増殖し続けるざるをえないのに対して、労働者が貧窮しているので、生産した商品の行き場(消費需要)がもうなくなってしまうのだ。
b.ここに至って労働者階級が必然的に立ち上がって資本化階級を打ち倒す。
しかし、労働者階級の立ち上がりは必然的な人間の願望ではあり得ても、唯物的科学上の必然とは証明されない。Marxは、資本と労働との限界的な二極分化の行き着く果て、その無矛盾への止揚(統一・跳躍)がやって来る筈であり、これを科学的弁証法の必然命令であると強弁する。しかし、現実の共産革命はすべて、資本対労働間の分化が極限に至るというには程遠い、資本主義の未成熟社会において人為的に発生している。
c.Marxとその追随者達の全てにおいて、プロレタリア独裁という言葉とそのイメージとが、実際の、具体的な、責任のある世界運営計画としては何も示されない。何時までもその幻影の中を漂うままに、革命が先行する。人間が果して所有という宇宙分裂の基本構造から開放され得るものであるか否か。この根源的な問いに対してMarxは、迂闊なのか、あるいは故意にか目を瞑ってしまった。
資本主義は人々の団結と対立(企業内団結と企業対企業間の闘争、労働者の団結と労働対資本の闘争)という対称性定理に準拠している。
しかし、プロレタリア独裁は世界の均質化(=世界の死)を意味するものである。
*-(宇宙(=全体)の個(=生命)への分裂という事象そのものが本質的に、「宇宙の自己分裂としてのおのれ」を、おのれが所有するという概念を含んでいる。)-
Marxの言うプロレタリア独裁像は次に例示引用するような抽象的なものである。
[資本主義的な制限から開放された労働賃金を、労働者の生産力に応じた極大なものとし、それに加えて保険積み立て、予備積み立て、そして社会保険(弱者救済)積み立て、最後に投資資金積み立て、この四つの積み立てを、適度に、必要な限度において積み立て得る程度の剰余労働(その労働者が豊かな生活する必要な報酬に見合う労働量を超えてする労働の事)を丁度良く労働者が行うならば、資本主義は消滅し、全ての社会的な生産様式の基本的形態が出てくる]
(「資本論」第九巻第七編50章-競争の外観)
ドストエフスキーが提起した次のような永遠の疑問に対して、Marxはあたかも自分が答え得ているかのように言うが、いまだ嘗て誰も答え得ていないという例に漏れづ、Marxもまた答え得ていない。
[人間が汚らわしいことをしでかすのは、自分の本当の利益を知らないからだなどと、馬鹿な事をどいつが言い出したのか.人間に正しい利益の何たるかを教示してやれば・・・人間は必然的に善なる人になるだと.出鱈目をこくんじゃねぇ。・・・大昔からの繰り返しなのだが、人間は非常に往々にして、自分の本当の利益を良く知っていながら、そんなものには目もくれずに、誰から指示されたわけでもないのに気違い染みた危険な道へと自ら突き進んでゆきたがる。・・・人間はお利口な利益の追求という窮屈な束縛から自由にして、自分の事は自分で勝手気儘にしたいというただそれだけの一念から、とんでもない馬鹿をしでかすのだ。大体、人間の利益とはそも何であるか、それをキッパリと定義できるものなら苦労しないのだ。自由な妄想、気違い沙汰、我儘と気まぐれの数々―これが人間の最大の利益だ。・・・人間に必要なものは、合理的欲望ではない。人間が必要とするのは自分の欲望であり、人はこの自分の欲望のために、・・・結果がどのような酷い事になろうと知ったことではないのだ。・・・何時の日か、人間の欲望方程式が整然と発見されて、全ての人間の行動はこの方程式の最適解として予め所期されるなどということになれば人は即座に一切の生きる意欲を放棄してしまうはずである。・・・我々が方程式の解にしたがって生きなければならないのであるならば、我々は単なるオルゴールのピンでしかなくなる。・・・人間があれほど破壊と混乱を激しく好むということは、・・・世界が完成してしまうこと―自分達の建造物が固まってしまうことを本能的に恐怖しているからに違いない。・・・](「地下室の記録」)