73.権力と宗教の癒着
.定理~
第一定理;宗教は権力に擦り寄る。
第二定理;宗教は権力自体になろうとする。
第三定理;権力は宗教を騙る。
.神格化~(=意思の、したがって責任の丸投げ)
ⅰ.自分の背後に自分の意思を担ってくれるバックボーンが居るものだと信仰することによって得られる責任からの開放。そして、権力の安心が目先の行動や言動を確信的にし、力強くする。
神の成長過程はこうである。親玉→君主→公→神。
人は自分と同類の奴が自分の上の価値階位に居るということを肯定できない。そいつは神でなければならない。
ⅱ.知らないことは知ろうとする。しかし、知りえないとき、知ろうとしないとき、知る能力がないとき、知るべき対象を創作する。この創作の方法は二手に分かれる。即ち、知るべき対象を演技しようとする教祖様、そして、知るべき対象を捜し求め創り出し、育て上げて差し上げようとする信者共。
.神は恐怖を連れてやってくる。
第一に直接に恐怖させることを目的として
第二として、恐怖から救済するために前提としてまず恐怖が必要であるから。因果応報、最後の審判(何故最初から審判しないで意地悪く最後になって審判を下すのであろうか.その理由は分かっている。間違いなく、それまでに散々に騙しておいて、最後なってうんと苛める楽しみのためであるに違いない)
天国と地獄の想念による飴と鞭を用いた支配.
神聖概念の中には恐怖が付きまとう。恐怖を操るものはそれ自体反動形成的に神聖不可侵という色合いを付与される様子は、あたかも恐怖が主で神聖という雰囲気は従であるのかと思わせるほどである。
しかし、神聖不可侵の想念や、道徳的な優位という想念や、価値観の圧倒的な権化であるという想念を抜きにして、純粋な恐怖だけでは権力を維持拡大することができない。
祭り上げる、縋る、神聖視する、信仰する、という性癖。失敗した者、落伍者、劣等視された者、に対する攻撃の快感に簡単に身を委ねる性癖。
自分が苛めないと逆に自分が疑われてしまうであろうかと先読みをする保身の衝動。率先して弾圧をすることによる評価と出世への期待に対する屈服.
このような弱者としての兆候が恐怖権力の主要な色調を占める。
*-(現存する恐怖独裁国家での、独裁元首を囲んで、軍上層部の人々が大きな軍用テーブルの上に広げてある軍用地図を前にして立っている写真を見る。誰かが指揮棒のようなもので地図を指して違大なる、オーッと違った偉大なる大将軍様に何やらご進講申し上げている。威厳があり、自分で物事を判断して溌剌としているのはこの元首様ただお一人だけで、マ、まるで血を吸い過ぎたヒルみてぇに元気一杯じゃないか。後の人々は全部去勢されてしまった老いぼれ犬のようにかしこまって、たなびく風情は枯れ草みてぇに見える。この写真を眺めていると、恐怖権力を養う元凶は人間の凶暴性であるよりも人間の劣弱性なのであるということがはっきりと分かる)
.権力に介入する宗教者の分類
ⅰ.権力を宗教支配の手段にする狂信者-布教が目的であり、信仰しようとしない者は、または要領が悪くて信仰した振りができない者は殺されるであろう。
ⅱ.宗教的な支配と権力の両方がほしいという強欲者-上に同じく信仰しようとしない者は、または要領が悪くて信仰した振りができない者は殺されるであろう。彼らが行使する権力には政治的な理想も熱情も存在しないであろう。
ⅲ.宗教を権力獲得の手段として用いる詐欺師-勿論、彼らが行使する権力には政治的な理想も熱情も存在しない。
.宗教的な権力が独裁制へと至る必然性
神を崇める→神は決して見つからない→神は生きる命、意思を持った、目に見える存在でないと知能の低い階層の、圧倒的に多数の人間どもが納得しない→神はただ一匹でなければならない(絶対者は一匹しか居ない筈である)→そこへ、その一匹になりたがる山師、または自分がその一匹であると確信している狂人が人々に担がれて神の化身、または神によって見込まれた神の代弁人として独裁するに至る。他に選択肢はない。
.権力における神聖な色調の役割は二つある
ⅰ.一つは権力が負う任務と責任に対して、人々が与え、そして、人々が感じ取る所の神聖性であり、もう一つは、権力がその支配理由として押し立てるイデオロギーや標的が虚偽であるときに、その虚妄性を押し通し、覆い隠すための神聖性である。
ⅱ.更に、人々によって権力が神聖化される三つの理由がある
1.自己納得―何でこの私がこんな糞野郎の権力の支配下にいなければならないのであるか.
この気持を鎮める為に権力者は神聖でなければならない。
2.自己神聖化―自分が所属し地位を占めている権力は神聖でなければならない。自分はこの神聖なものの一部である。
3.理想の投射―権力が真実であることを権力に要求する。ここでは1.および2.のような反動形成に類したことは起きない。しかし、要求が信仰に短絡する危険は常に存在している.
ⅲ.反動形成―
1.権力的支配が未だわが身に直接降りかからないうちに、または二度と加えられないよう、権力の恩恵を取り入れる為に.
2.権力がそれ自体大きな蠱惑であり、それ故に尊敬や崇拝の対象である.
3.反動形成は予防的であり、希望的である.
完全に意思と人格が否定され、希望が窒息し切った時にはもう反動形成が起きる事はない.
.宗教政党
ⅰ.
*絶対神聖的なものを欲する。優越し、支配し、ゼニ儲けをすることをいたく好む。目的達成のために何かに縋ったり、何かを利用したり、便乗したりしたがる。かくの如き諸欲求に釣られて宗教に短絡する劣等人種どもを政治的宗教人、ないしは政治的信徒という。
*こうした者どもの欲求を焚き付け、誑かす自称「神降りし者」を教祖という
ⅱ.宗教的な自惚れは、畏れ多い、絶対の、光り輝く、天上の存在に拠って立つという錯覚の魔力を人々に授けるので意志薄弱者、低脳者、自己過大評価人間どもにとっては又とないご馳走であり、気狂いに刃物とはこのことだ。
宗教界におけるエリート層は信仰と打算をうまく共存させる。この薄汚い共存状態を何の抵抗感も無く受け入れることができるような人種-それが宗教的エリート達なのであり、このような人種に対しては全く信用が置けたものではない。
ⅲ.宗教政党の高級幹部諸君に共通した特徴は政治的な熱情の欠落である。何故かというと、宗教を踏み台にして出世をして旨い目に遇おうとする事が彼等の動機の全てであるから、(余程の屑者を除けば)どんな薄馬鹿代議士でも、多少は、その匂いくらいのものは持っているであろう所の、政治的な熱情が始めからないのであり、なまじにそんなものを持っていると、反って変に良心というものが出てきて、自分の政治家としての地位保全に宗教を利用しようとする気持の邪魔になるのである。
実際、彼等が引退したり、失脚したりすると、たちまち簡単に信仰を捨て去り、踏み躙り、しかし、浮世への未練が未だたっぷりと残ってはいるものであるから、昔、敵意や嫌悪を抱いた教徒どもや、ご本尊様などに対して、その批判本や、暴露本を発表したりする。勿論、家元の一族郎党は怒り狂い、一家総動員をしてこのミミズ野郎をこき下ろし、嫌がらせを始める。(さながら南京虫対サルモネラ菌の戦いみてぇである。お互いせいぜい頑張って下さい)
「この野郎!できる事ならば旨く消してしまいたいんだが。しかし、こう有名になりやがると中々消し辛いなー」
これで分かるように、宗教政党なるものの唯一の政治的な欲情は、票を一杯取ってデージンの数を増やし、もって政党の人気を上げ、信徒達の人気を取れる政策を政府に強要して、より一層の信徒獲得を目指すことにあるのである。よって、彼等には真の政策というものは存在しない。(そんなものは布教の邪魔になるのだから存在してはならない)