37.神聖概念

神聖概念

ⅰ.神聖存在の特徴を次の三点に要約する。

a.力の超越的な優位-(全能性)

b.道徳における超越的な完成-(不可侵性)

c.上記、1.および2.の状態には、如何なる方法をもってしても、我々が対等に成り上がることはできない-(彼岸性)

このような存在が実際に我々の眼前に、生ける、意思を持つ対象として、又は対象に宿って出現する可能性は、それが神であろうとなんであろうと全くない。超越存在は指標として我々を導きはするものの、決して姿を現すことはなく、我々自身の自助を100%要求する。他のやり方は決してしない。

ⅱ.全能性、不可侵性、彼岸性を具備する存在は神ではない。何となれば神は規定され表現されてはならないからである。したがって、神が上記三つの要約によって規定されればそれはもう神ではないのである。

ⅲ.我々の裡にある神聖概念への願望は、自分の外の世界に聖なるものを捜し求め、自らそこに至ろうともする。しかし、正常な人間であれば自分自身の中にも、自分の外にも聖なるものなどは見出せない事を知っている。

神聖概念は理念として自分自身の力によって追求され(上級)、自己を含む世界として探求され、その世界が真実神聖的であることを要求し(中級)、信仰や個人崇拝として従属される(下級)

神聖概念は特定の不完全なものに乗り移ろうとする。それは又事実に対して目を昏ませる。

対象が何であれ、それに神聖性の陰影をつけるという事は虚偽であり、したがって悪である。

実際、虚偽のエネルギーが道徳を推し立てたり、人間の諸活動を促進したりすることはあるのだが、しかし、虚偽がその人間活動の全領域を制約し、歪め、反省や懐疑の道を塞ぐ。その様子は丁度、幹が斜めに立っている樹が、そのために枝や葉も捻じ曲げてしまう様子に似ている。

人間の欲望は、その亢進によって自分と自分が属する世界とを神聖化し、同時に人間の従属性は自分の根源を神に求め、ありもしない自分たちの神に従属する。

迷妄は力強く、高エネルギー状態である。

何故ならば、迷妄が反省や探求などの回り道を省略するからである。迷妄が人に信念と良心の晴れやかさを与える。そうなれば侵略も、住民虐殺も、神が我々に与え給えた神聖なる任務であり、当然の権利である。

迷妄をもってIdentityとした者どもはそれが運の尽きになるであろう。なぜならば、迷妄はもう晴らされるのではなくて放棄されない限りそれから抜け出すことができず、放棄することはその者にとって敗北(=Identityの放棄)である。

ⅳ.神聖概念は我々を験し、導き、そして、我々を打ち砕く。しかし、我々は神聖概念なるものへの願望なしでは、生きることができない。

ⅴ.神聖概念の害は、

1).無条件、無批判的な服従性を強要する。信仰の対象は生身の人間に具象化しないではいられない。何故ならば、信仰の対象なるものは生きている意思として表象されるほかに方法がないからである。そこで利口で邪悪な山師や詐欺師や精神異常者がこれを利用する。

(2).諸活動の一切を神聖性への貢献という観点によって評価するために、色々な病状が出る。
その最大の病状は誤謬癖であり、誤謬への突進である。信仰し切れなかった人、信仰に対して疑問を持っている人の台頭を阻害し、圧殺する。個々人のエネルギーが信仰に割かれて低減する。

(3).努力の放棄、または不毛な努力が信仰から(もたら)されるであろう。