鍛冶俊樹の軍事ジャーナル
第246号(8月4日)転写
 北朝鮮が中距離弾道弾ノドンを日本の排他的経済水域に撃ち込んだ。これは日本に対する明白な侵略である。ところが日本のマスコミはそう言わない。政府もそう言わない。「国連決議違反」「許しがたい暴挙」しかし、これでは「日本国民の権利が侵害された」という明白な事実が国民に伝わらない。
 なぜ「侵略された」と言わないのか?それは、「侵略された」と認定すれば自衛権を発動しなければならないからだ。ところが、「日本には自衛権を行使する意思も能力も実はない」という、恐るべき防衛機密が存在する。

 昨年の平和安全法制の論議の過程で、民主党の枝野幹事長が「集団的自衛権は憲法違反。個別的自衛権でシコシコやればいい」という趣旨の発言をしていたが、実は自衛隊は単独では戦闘できない。個別的自衛権を行使する為の防衛基盤が確立していないのである。
 巨大な軍事資産を有する米軍と連携すれば、この欠陥は補完される。つまり今の日本は集団的自衛権の行使以外、自衛権行使は物理的に不可能なのだ。だからこそ、集団的自衛権の行使を法的に一部可能にする平和安全法制を成立させたのである。

 この法制論議で「日本の自衛隊員が米国の戦争で死ぬことになる」という危惧の声があった。だが、これこそ米国が懐いている危惧そのものなのだ。「米軍兵士が日本の防衛のために死ぬことになる」
 米軍が世界から撤退しつつある状況において、日本の自衛隊員が米国の戦争で死ぬ公算は限りなくゼロに近いが、中国と北朝鮮の動向を見れば、日本の防衛のために米軍兵士が死ぬ公算は日々高まっている。
 日本の集団的自衛権の行使の範囲は極めて限定的であって、従ってそれに比例して米国が日本のために集団的自衛権を行使する範囲もまた限定される。排他的経済水域にミサイルを撃ち込まれたぐらいでは米国は参戦しない。

 ならば自衛権行使は不可能であり、自衛権行使が不可能である以上、侵略と認定することは無意味だから、最初から侵略とは言わない訳だ。
 だがこの理屈はおかしくないだろうか?侵略されたのは紛れもない事実であって、自衛権行使が出来ないからと言って、その事実を認定しないのなら、不治の病は病気と認定しないのか?
 これは尖閣問題でも同様なのだが、日本は個別的自衛権を行使するだけの防衛基盤を持っていないという事実を政府は公表すべきではないか?そして早急に防衛基盤を確立するために、防衛費を倍増させる必要があることを率直に語り、防衛計画の大綱の見直しに着手すべきであろう。

軍事ジャーナリスト 鍛冶俊樹(かじとしき)
1957年広島県生まれ、1983年埼玉大学教養学部卒業後、航空自衛隊に幹部候補生として入隊、主に情報通信関係の将校として11年間勤務。1994年文筆活動に転換、翌年、第1回読売論壇新人賞受賞。2011年、メルマ!ガ オブ ザイヤー受賞。2012年、著書「国防の常識」第7章を抜粋した論文「文化防衛と文明の衝突」が第5回「真の近現代史観」懸賞論文に入賞。