4.30、岸田外相が訪中のとき王毅シナ外相の傲然たる冷たい態度が目についたそうだが、この人は1953年生まれ、

したがって、日本の本多勝一(南京虐殺を偽造)や

東史郎(日本兵の残虐行為を捏造虚言した自称元日本兵)田辺誠(社会党書記長、中国に行って南京虐殺記念棺建立を扇動)が南京問題を喧伝した1971年には丁度18歳だから、この時期徹底的に日本軍の残虐性を刷りこまれた最初の年代に属している

であるから、岸田と対談するときに見せた態度はポーズだけでなく、本心からの確信的憎悪も混ざっている.

話し合いでわかりあえるなどという代物ではないのであり、この世代以降のチャンコロは全員が虚偽を刷り込まれて日本の犯罪を確信していて憎しみを抱いているから甘く見てはならない.彼らもまた虚偽の教育による犠牲者ではあるのだが、しかし、日本人が、にこやかに謝罪し話し合えばわかりあえるなどという幻想にすがりついていると痛い目にあうことになる

(なるほど分かり合えるかもしれないが、その内容は「日本の犯罪歴史を互いに固く確認し合い、日本が永久に謝り続けなければならないという共通認識において分かり合えるわけだ)

(分かりあうのでなく、犯罪歴史の虚偽性を彼らに分からせることが唯一の選択肢である)