*参考資料4.日本経済が変調しつつ現在に至るまでの経過の発火点がプラザ合意にあることを順を追って詳細説明しておく
▲第一の経路
1.プラザ合意:360円/1ドルから90円/1ドルへ64%円高が進行
2.[円高ドル安+日本が低金利政策を取る]という方法が実行された。これは日本が貯ったドルを米国に投資するよう誘導するための方策であった。
(*80年代後半、米長期国債の入札時期が近づくと銀行・生保・証券会社に対して大蔵使用がヒアリングと称して米国債購入への圧力をかけた。大蔵省が舵取りをする護送船団方式の日本金融業であるから、断われば後で意地悪をされるので、仕方なく各金融機関は米国債を大量に購入し続けた)
3.こうして貯ったドルは円高ドル安により1/3に価値が減少した。
4.そこに会計グローバルスタンダードと称する胡散臭い基準の導入が強要される。
具体的には
a.時価会計制度の導入~資本を時価で会計処理するから、ドル安により日本金融機関の持つドル資産(自己資本)が会計的にも減少する
b.ついで自己資本比率として根拠のない*8%という数値が押し付けられる。
[自己資本比率=自己資本/総貸出し金額]であるからドル安により、分子の数値が減少するので、この数値を8%に維持するために分母=総貸出し金額を減らさなければならないということで、
銀行の貸し渋り→会社や商店が苦しがって値下げで凌ごうとする→デフレが起きる→不良債権が増加するという悪い過程が進行した。
(*2009~2010にかけて発生した米投資資本によるデリバティブの失敗により、アメリカに金融危機が発生したが、このときアメリカでは自己資本比率は8%では高すぎるから6%にしたら良いなどという議論が出てきている。これで解るように、自己資本比率などというものは自己都合のいい加減ものなのだ)
▲もう一つの経路
1.プラザ合意:360円/1ドルから90円/1ドルへ64%円高が進行
2.[円高ドル安+日本が低金利政策を取る]という方法が実行された。
3.低金利が不動産投資を促す。
更に、円高阻止のために日銀がドル買いをしたため札束が印刷されて市中に出回ったのでこの札束が不動産投資へと向かって流入した。
4.不動産バブルが発生、ここでバブルを急激に沈めようとして不動産取引の数量規制をしたのでバブルが破裂し、これまた銀行の不良債権増大の主要因である。
★第三の経路
1.円高政策にもかかわらず対米貿易収支黒字が改善しない。アメリカはそれが気にくわない.
2.そこで内需拡大策として合計500兆円の公共投資が行われた。
しかし、結果は累計1300兆円という恐ろしい財政赤字、そして、公共投資に依存しないと生きてゆけなくなった業種と企業群が取り残され、役に立たない港湾、ダム、道路、農道、林道、埋立干拓事業、空港などがその残骸として残ったが、道路以外は、自然を破壊しただけで役にたっていない。
財政支出そのものからは、自発的というか、経済自体の力が自己展開をするような内発的なものが何も導かれなかったのである。
(注:この内需拡大のための公共支出はアメリカによる指導もあったが、逆にアメリカによる指導をアメリカに要請して引き出し、これを利用して公共事業利権を得ようとした欲の深い金丸信や、「財政支出が経済を成長させる場合がある」というケインズの条件つき命題を、「財政支出は何が何でも経済を成長させる」という絶対命題だと間違って理解した頭の悪い宮沢喜一などが推進したものである)
今まで見てきたように、中曽根と竹下は日本の経済政策を徹底的にアメリカに売り渡したという、角栄後遺症の重症患者であった。
“田中がなぜアメリカの機嫌を損ねたかというと一つは日中正常化をアメリカよりも先にやったことである。文明子(ジェリームーン)という韓国女性記者の話によると、キッシンジャー大統領補佐官が次のように言った。
「いずれ田中をひねってやる。彼はアメリカに先んじて勝手に中国承認をしたからだ」
キッシンジャーは、周恩来と交渉してもっと条件を引き出そうとしていたのに、田中が勝手に台湾を切り捨てて中国に乗り換えてしまったと云いたかったのであろう。
(筆者注:後日キッシンジャー氏は「文明子さんに対して上記のような話をしたことはない」と語っている)
檜山丸紅社長の話
「私がロッキード事件に巻き込まれたのは田中角栄の支持でLNG船を作ったことがオイルメジャーの癪に障ったのではないか」
当時LNG船を持っていたのはオイルメジャーだけであった。田中はチュメニ油田から油を引っ張ってくることも考えていた。戦後政治家の中で田中が桁外れだ。田中政治がもう5~10年と続いていたら日本は大災難にあっていたかも知れず、大発展をしていたかもしれない。
田中は北方領土問題でブレジネフから「懸案事項である」という言葉を引き出したがそれまでの歴代内閣は北方領土問題では門前払いされていた。
田中にしてみればLNG船を作って何処が悪いかということであったろう。
しかし、そういう田中をオイルメジャーとアメリカ政府は大変警戒していた”
(「誰にも話さなかった竹下登の実像と虚像」)
竹下は次のように述懐した。
「戦後の日本に限定して言えば、自由民主党と社会党は東西両陣営担当だったわけです。そして、二刀流外交をやって世界中の金を集めた。当時日本というのは、所詮、ビルの谷間のラーメン屋みたいなものだったからね」
竹下のこの言葉の中に自嘲の響きがあるのかないのか・・・多分、竹下は谷間のラーメン屋稼業が気に入っていたわけではないだろう。