★竹下登
日本に住んで会社を経営するアメリカ人ビル・トッテン氏は次のように言う。
「北朝鮮は国の威信と独立に固執しているため食糧が全くない状況だが、日本は威信も独立も捨て、他の国に依存しているために食料に困ることはない、という点だけである。したがって、北朝鮮はアメリカに立ち向かう勇気を持っているため、飢餓問題を抱えているが、日本はアメリカに屈しているため、国民は北朝鮮の人に比べれば太っている。」
(「アメリカは日本を世界の孤児にする」ビル・トッテン1998.1ごま書房)
著者のトッテン氏は純粋アングロサクソン系であるにもかかわらずアングロサクソン系の価値・行動原理を嫌って日本に移ってきた。
しかし、私ならこの文の内、下線を引いた部分を次のように言い換えたい。
「北朝鮮は個人経営的な閉鎖独裁権力の支配下にあるために食料が全くない状況だが、日本は威信も独立も捨て、他の国に依存しているために食料に困ることはない、」
「北朝鮮権力が、アメリカに立ち向かうような振りをしてアメリカと韓国、日本に物をねだるほど北朝鮮人は飢餓にさらされているが、日本はアメリカに屈しているため、国民は北朝鮮の人に比べれば太っている。」と。
このように注文がつくにもかかわらずビル・トッテンの指摘は日本人の肺腑をえぐるものがある。繁栄と安全さえあれば、ただそれだけあれば無際限に屈従し続けるという―それが現代日本人の価値観(価値観というほどご立派ではないのだが)であるならば、竹下登がその権化であった。日本とアメリカの価値観の共有などという人もいるが、この点だけを取ってみても日本とアメリカの価値観は違っている。
ロン-ヤス(ロナルドレーガン-中曽根康弘)時代の対アメリカ貢献は独り軍事上にとどまることなく、米国の国際収支と国内財政における双子の赤字対策として日本が保有するドルのアメリカへの還流対策が行われた。
レーガンが、対ソ冷戦で、ソ連を経済的に破産させようとする軍拡競争路線を強化することに、ジャパンマネーが大きく貢献したわけだ。
1983:米国の財政赤字が2000億ドルを超えた
1986:日本の米国債購入額が1380億ドルを超過(1976年には未だ2億ドル弱であったから10年間で7倍になった)
日本が投資した米国債の原資はアメリカに物を売って得たドル資金であるから、結局日本は儲けた金をアメリカに戻したわけだが、その後円高ドル安によりこの米国債の価格が1/3に減価したから、日本がこうむった純損失は少なく見ても16~20兆円にはなる。
このときヤスとご一緒してドル還流に励んだのが当時の大蔵大臣竹下登である。竹下は田中角栄の例を見て絶対にアメリカに逆らうまい決心した。
「竹下さんはアメリカに身を捧げるしかなかったのだと思います。ロッキード事件で竹下さんはアメリカ情報機関の怖さをまざまざと見ているのです。当時、田中さんはアメリカの情報機関にやられたといわれていたわけですから。竹下さんは訪米すると必ずホワイトハウスに立ち寄っています。」
(「誰にも話さなかった竹下登の実像と虚像」水野清2002.9正論)
中曽根の退陣により予定通り総理大臣になった竹下は引き続きドル安円高政策を促進させて行く。
1958、日米英仏独5カ国蔵相会議がニューヨークのプラザホテルで行われたが、狙いはアメリカによる円・マルク高-ドル安誘導政策を五カ国が協力して推進するように仕向けることにあった。事前に円高政策が強要されることを知り既に観念していた中曽根と竹下は無条件無際限的な円高政策を容認した。
(ドイツはその場で無条件降伏せず、後日、協力はするが限度があると、一定の歯止めを設定している)
プラザ合意はアメリカの対外輸出競争力を強化するとともに、日本や欧州各国が保有するドル資産(アメリカにとってこれは債務である)の価値を減らして身軽になろうと目論んだものであった。
プラザ合意ののち実行された通貨政策の結果、日本の保有するドル資産の大幅な価値減少と日本の輸出産業に対する打撃が発生した。
日本の保有するドル資産の大幅な価値減少は、金融ビックバンと会計グローバルスタンダード(時価会計制度を取り入れること、そして銀行の自己資本比率に関するBIS基準率8%を日本金融機関の基準に採用すること)の導入とによって、日本金融業衰弱の原因になるのだが、これは明らかに邦銀の世界的な台頭を押さえ込もうとするものであった。更にアメリカが指導する低金利政策を採用したことによる影響で、バブルが発生した。
(詳細は次の参考資料4.を参照されたい)
日本で発生したバブル経済はアメリカに警戒心を起こさせた。即ち、日本の投資インフレーションが折角の円高ドル安をまた元に引き戻してしまうのではないか。
そこでアメリカは、バブルを退治し、加えて日本の内需拡大を拡大させるために、日本に金融緩和と財政支出を命令する。しかし、その効果はなかった。