★航空兵器をめぐる日米関係の経過と現状

a.基本的な状況

アメリカは日本による自主開発を嫌い、アメリカの兵器を日本が購入し、あるいは最高限、日本が自主性を求めてもライセンス生産方式を持って上限とする。

「アメリカはライセンス契約を結ぶとき、ドンガラ(胴殻=容器)としての機体とエンジンについては許可しても、探知装置は丸ごと米国製を輸入、あるいは一部をライセンス生産とする基本方針をとっている。

このようなソフト情報は最高度の機密であるため、日本に提供することはなく、ブラックボックスとなっていて、中身をのぞくことも勝手に触れることもできない。国産技術の育成にはつながらないようになっているのだ(高山捷一)」

(「日本はなぜ旅客機をつくれないのか」)

その理由はまず経済的なものであり、もし日本が自主開発兵器の売り手市場にアメリカの商売敵として登場すればアメリカは日本という今迄の上お得意様が、今度は商売上のライバルとして登場するという二重の損失に見舞われることになるからである。

更に、アメリカは先の大東亜戦争で日本のゼロ戦をはじめとする航空戦力に脅かされた悪夢を忘れてはいない。それ故、日本が自主技術で何かやってのけそうな兆候があると血相を変えてこれを押しつぶそうとし続ける。

(注意:アメリカのこのような国家反応に対して感情的に反応するべきではないが、しかし、我々はこのアメリカの反応に打ち勝たなければならない)

(日本のやり方にも拠るのだが、)アメリカが正常な限度を超えてフェアプレィの精神を放棄し、日本をしてアメリカの永久補助軍となし、アメリカの楯、クッション、財布番のように取り扱い続けるならばそれは間違っている。アメリカはそのような試みに成功し続けることはできない。

日本はアメリカが非常な年月と苦労をして獲得した成果をそっくり頂こうなどと思ってはならない。我々は単に自主技術を持ちたいのである。

しかし、実際に日本の状況はどうかというと、これがすっきりしない。

防衛省上層部において一貫して自主開発を望む勢力は勿論存在し続ける。

それは旧帝国陸海軍技術者の生き残りが持ち込み植えつけたものだ。

b.抑止力を持つ戦力

“「外国機を導入してライセンス生産をするほうが安あがりだという考え方がありますが、これでは既にハードウェアとしての兵器の中身がわかってしまっていて、手の内が相手に知られているということなので、金をかけた割には値打ちが下がってしまい、有効性を持たない。もっと相手がすくむような抑止力を持つ兵器であるためには、手の内が知られない国内開発の兵器であることを基本方針とすべきです。・・・中略・・・何もかも国産でなければならないと言うわけではないのです。大事なものだけを国産でやって技術を育て上げ温存していくのが大事です。おいおいチャンスを見ては国産に切り替えていく現実的な考えを持っていれば将来の姿もだいぶ違ってくる(高山捷一)」

要するに何でも一括して買えば安いからよいと言うのではなく、重要部分から自主技術に少しづつでも蓄えていこうという予算的な仕分けが必要だといっているのである。上部に生産能力としての航空機産業の工業力があり、その下の基礎には防衛省や民間企業の研究開発能力があるのだという。”

(「日本はなぜ旅客機をつくれないのか」)

c.体制的な分裂・政治的な貧困

しかし、防衛庁内局(背広組)文官はアメリカの兵器を購入し、あるいはライセンス生産して日米安全保障条約のもとで行われるアメリカの戦略に日本が追随すればよいと考える人々の集団であり、アメリカからの兵器購入代理店である日本の商社がこの勢力に参加した。

防衛予算を査定する財務省の場合、成功率が低く、目に見える形になってすぐには現れない基礎研究や高度な研究、失敗する経験自体が技術と組織上の財産であり、蓄積であること、兵器産業自体が長期にわたる投資の過程であること、などに対する認識が欠けており、そのため輸入やライセンス生産と自主開発の違いを単にどちらが安上がりであるかという財布屋的な視点からしか捉えようとせず、長期的な観点からする説明に対しては猜疑心を持つ傾向がある。

このような官僚たちの分裂の上に、更に政治の不在が存在する。

自主開発派、国防族と自称する議員たちが不勉強であり、まともな知識を持っていないうえに、勇ましそうなポーズだけは取るが実質的な活動は殆どない。勿論、代議士だけにその責任を押し付けることはできない。何故ならば代議士の関心は国民の関心のあるところへと向かうものであり、そして、国民の関心は国防上に殆ど存在していないからである。

このような代議士たちの実態に加え、議院内閣制に準拠して選ばれその上に乗る内閣総理大臣が、それ自体自称国防族議員をはじめとする議員たちの延長線上にある「いかもの」なのであり、加えて頻繁に、そして、短期間に総理大臣が入れ替わる上に、その都度国防の基本姿勢が伝統として受け継がれるわけでもない。

かくのごとく、官僚の分裂(自主開発を志向する制服組対アメリカ依存を好む文官背広組)と、財務省の予算感覚、そして、政治の貧困という状況の中で、

「アメリカ防衛産業-輸入商社-防衛省幹部-一部の属米的代議士」なるラインによる輸入・ライセンス生産派と、「防衛省制服組のうち自主開発派-国内兵器産業」なる自主開発・自主生産派がそれぞれの路線をめぐって相争い、更には日本の対米貿易黒字の増大に伴う「アメリカ経済界-アメリカ議会-アメリカ政府」という線による日本の自主開発阻止、輸出推進圧力との間の政府間交渉による政治的な判断の介入が存在するという非常に厄介で奥の深い事情が存在している。

これを見ると、アメリカ企業による日本政府高官への贈賄などという短絡的・私的次元の行為で簡単に物事を決定しうる余地があるとも思われないし、そのような行為がいかに危険な行為であるかを想像してみても、贈賄ということは考えられない。

実際、前述のように潜水艦哨戒機の自主開発路線は、それまでの国産のP1が、非常に性能に難点があり過ぎたので、次世代対潜哨戒機は殆どロッキード社のP3Cに決定(するほかない)という状態であったのが解る。

アメリカではアメリカ企業の国内での政治献金が禁止されているが、外国政府への献金や贈賄は禁じられていないので、外国政府高官に対する献金と見せかけて一旦金を払い、(それをたとえば日本では児玉誉士夫などの利権屋にリベートを与えて金を受け取らせ)すぐにまたその金を回収して国内の政治献金に利用するという方法が常に行われている。更に、

[児玉の領収書がピーナツだのピーシズだの得体の知れない貨幣単位で記載されていたし、契約書のドル換算が、契約日当時のレートに合致していない。

そして、契約書の印が日本では使用されておらず、米国西海岸の日本語新聞社のものらしい。](「怨念の系譜」早坂茂三2001.11東洋経済)