付録4.昭和の情報弱国

1.天皇様をたぶらかす

対米開戦決意を決定する大本営天皇重臣会議の写真がある。馬鹿面をした政府と陸海軍首脳、重臣達が厳しく正装して居並び、威儀を正しているがその厳しい外容に比べてこいつらの内面は馬鹿揃いで、その中に東条英機参謀総長兼首相と永野修身海軍軍令部総長もいる.

この開戦決議における対米英基本認識は次のとおりである.

(結果的に、全部間違っていたが、一体、いかなる奇天烈な情報分析からこのような希望的結論が出てきたものであるか)

「ルーズベルトもチャーチルも戦意がかけている」(間違い)

「アメリカ国民は、その大部分が戦争を嫌っている」

(これは一部分正しい。しかし、アメリカ国民がいかなる事態に陥ってもこの厭戦気分から脱却しないであろうという希望的な前提が根底にあるかのようである)

「アメリカが対日戦争体制を整えるまでには多くの困難と時間を必要とするであろう」(間違い)

この席において、終止無言のままであった昭和天皇は、内心苦りきっておられたのではないか。

これを見れば、苦い現実を見ようとせず幻想にすがりつく日本人の習性は今に始まったことではないということを思い知らされるであろう。

2.ソ連スターリンに縋りつく

旧日本軍中堅将校がソ連コミンテルンスパイにより共産思想にかぶれ、日本を天皇制共産主義にしたがっていた.2.26叛乱事件を起こした青年将校たちもその部類で、彼らは北一輝や西田周などにより思想洗脳を受けていたのだが、この二人は共産主義者である.

陸軍高級幹部はこの青年将校たちの暴力に恐怖し、猖獗していた軍内共産思想を取り締まらず、2.26事件の首謀者を処分してそれで済ませた.

敗戦近くになるとこの共産軍人達が、ソ連に終戦の仲介役をして貰い、敗戦後のアメリカの支配から、ソ連による親身あふれた日本の共産国家としての立ち直りを夢想し、外務省にも影響力を行使してソ連に日米戦争の停戦和平仲介を密かに依頼している.

日本外務省もその気になり

「日本の領土は出来るだけソ連に差し上げる」

「終戦後は天皇制共産国家にしたい」

などという条件を提示し、スターリンに仲介依頼をしたが、スターリンは、

「日本の降伏近し」

「馬鹿どもは、この私が日ソ不可侵条約を守り、律儀に停戦仲介をするものと思い込んで期待している」

「親身に相談に乗る振りをしつつ、対日戦争に参戦して日本を打ち負かし、以って戦利品を沢山分捕らなければならない」

などと考えていたのである.

実際、1945.6月、米国の最高機密情報(米戦略情報局欧州総局情報)として、「国家を救うため日本政府の重要メンバーの多くが日本の共産主義者たちに完全降伏し、ソ連が日本を助けてくれるだろうと期待している」というものがあり、イギリスも、アメリカのこの件に関する機密電報を解読して解っていた.

しかし、溺れるもの藁に縋るという気持ちであったものか、鈴木貫太郎内閣はこの期待に飛びつき、ソ連による仲介和平案を最高戦争指導会議で国策として決定した.

鈴木貫太郎首相はこの会議の中で

「スターリンは西郷隆盛に似ている」

などと発言し、首相秘書の松谷誠陸軍大佐は

「スターリンは人情の機微がわかり、日本の国体を破壊することはない.ソ連の民族政策は寛容である.戦後の日本の復興は社会主義によるほかはない」

などと、その「終戦処理案」で書いている.

陸軍参謀本部戦争指導班長種村佐孝大佐は、「終戦工作原案」の中で、

「ソ連主導で戦争終結(筆者注:対日戦争参戦をしないままのソ連が終戦を主導できるはずもなく、アメリカが受け入れるはずもない)」

「領土は可能な限りソ連に与える(筆者注:対日戦争参戦をしないままのソ連が、日本の領土を分捕れるはずがなく、アメリカが受け入れるはずもない)」

「ソ連、中共と同盟する」

などと、幼児の夢想のようなことを書いているのだが、実際には既に、1945.2月のヤルタ会談において、ルーズベルトとチャーチルは、ソ連がドイツの降伏3カ月後にソ連が対日参戦し、その褒美に南樺太と千島列島を取ってもよいという密約をスターリンと合意している.
そしてこの情報はスエーデン駐在陸軍武官小野寺信が直ちに把捉し、日本の参謀本部次長秦彦三郎宛に機密電として送られた.しかし、この情報はなぜか大本営作戦部のあたりで握りつぶされたらしい.現実と願望の区別が付かなかったのであろう.

昭和期における日本政府や日本軍は、日露戦争前のときと比べて、完全に別人のように退化していたのがわかる.