3-ロ.本質は志願ではなく命令であった
➥陸軍のコースは、
参謀本部が企画→航空総監部に指示→航空総監部から陸軍教導飛行師団に特攻隊の編成命令→飛行師団の師団長、師団幹部が隊員を募り編成(志願者を募れば全員が志願するであろうと予測し、候補者を予め選定していた)
である。
陸軍に於いて、時に人選を決めておいてその対象人員を、お前達は台湾やフィリピンに飛行機を運ぶための要員であると偽って飛行機を運ばせて、行った先でそのまま特攻隊に組み込むという事例がかなりあった。
[戦争末期、・・突然大講堂に集合がかかって、・・・上官から特別攻撃の志願について、
▴喜んで志願
▴命令なら志願
▴志願しない
の三通りの中から選んで回答せよとの問いかけがあった。・・どの道、早いか遅いかの違いだけで出撃は免れないと思って「喜んで」と書いて提出した。・・・「命令なら」と書いて厳しく叱責されたものがいた。]
(安藤豊弘氏~大阪府寝屋川市)
➥海軍は次のようである。
大西滝治郎が神風特別攻撃隊の編成を発令した。人選はあらかじめ済ませてあり、拒否が不可能であることは陸軍と変らない。
(例)~
一、現戦局ニ鑑ミ第二百一海軍航空隊艦戦二六機ヲモッテ体当リ攻撃隊ヲ編成スベシ
ニ、本攻撃隊ハ之ヲ四隊ニ区分シ、敵機動部隊韮島東方海面出現ノ場合、コレガ必殺ヲ期ス。成果ハ水上部隊突入前ニ之ヲ期待ス
三、今後艦船ノ増強ヲ得次第編成ヲ拡大ノ予定
四、本攻撃隊ヲ神風特別攻撃隊ト呼称ス
五、編成
指揮官 海軍大尉 関行男
各隊ノ名称ヲ敷島隊 大和隊 朝日隊 山桜隊トス
(之で解るように海軍の大西滝治郎は自分の責任と意志とにおいて命令を出しているのであり、之に対して不承不承なものは「暴将大西海軍中将」に殴られたりした。
大西滝治郎は「必殺突撃精神」であるとか「私も必ず後で行く」などという、間違いなく後でその言葉に裏切られるような、そういう言葉を吐くということはなかった。彼は単に命令だ、行け、といったのである)
こうして編成がなされてしまえば、以下は下からの自発的熱情に上が形を与えるのではなく、計画的作戦の一環として行われ、之は軍隊においては命令以外の何物でもない。戦闘集団の中にいて、特攻に志願するかしないかと問われれば、殆ど踏み絵検査を掛けられたに等しく、反対をすることはまず不可能であったであろう。組織する側もそのことを見越していたに違いなく、したがって、志願制という名目ではあったが本質は命令であった。
「大義-至上の価値よりも己の生が大事であるか」、と問われれば、まさかそうですとはいえない。
この論法に準拠して互いに引き受けさせあいが行われても誰もが公然とは抵抗することが出来ない。
兵器の質、兵員の技、総合物量、総てに於いて手詰まり状態であったから、「特攻に反対だと、・・ではお前ならどうするんだ」と糺されればグッと詰まってしまう。
そして卑怯者になりたくなければ、疎外侮蔑されたくなければ、志願するしかなかった。
勿論、自分から特攻をしなければならないと考えた隊員は幾らでも居た。しかし組織するサイドは、ただ一人の例外~大西滝治郎を除いては、決して表立って命令を下すだけの覚悟はしていなかったのである。