附記-南雲提督の復讐

1-a.全海軍航空戦力の6割を喪失させ、多くの鍛え抜いた精鋭達の命を奪ってしまったミッドウェイの敗北にも拘らず、山本も南雲もその責任を問われず(注意1)、続投したことはいかにも日本的な馴れ合いであったが、海軍挙げての責任逃れ、「赤信号皆で渡れば怖くない」という敗北隠蔽方針によってこの二人を辞めさせるに辞めさせられなくなったためのものであった。

(注意1)-(責任を問うて辞めさせる、又は責任を取って辞めるという言い方は正しくない。辞めれば犯罪や過誤や怠慢の結果引き起こされた事態が元に戻るわけではない。したがって、責任を取るなどという格好のいい言葉の出る幕ではないのである。

本当は処罰として辞めさせ、処罰を受け入れて辞めるのである。処罰によってその人の人生が係わってきた世界における人格が拒否されるのでなければならない。

実際、「辞めれば(=ずらかれば)責任が取れる」などと甘い考えであるから簡単に犯罪や失策が発生するのである。責任というとご立派過ぎるのであり、処罰というのが正しい。)

1-b.

南雲は最後に、艦船を持たないという惨めな海軍司令官としてサイパン島で割腹自決をしてしまった。このために、私は、南雲もまた日本帝国海軍の愚劣な人事における犠牲者のうちの一人であると言う印象を持つ.

2.第二次ソロモン沖海戦(s17.8.24)と南太平洋海戦(s17.10.26)はともに、

アメリカ-オーストラリア間に米軍が持つ海上ならびに航空輸送路の遮断を図るために、日本海軍により設置されたガダルカナル島飛行機戦闘基地を、逆にアメリカ軍が同島に上陸し、占領し、日本軍を追い出そうとしたのであるが、この上陸作戦を巡って、日米両国がその持っている航空戦力のすべてを投入し、ガダルカナル島の近海における制海権・制空権を確保しようとして戦ったものであり、日本軍による南方進出に対する米軍の南からの反攻過程の初期における天王山的な戦いであった。(37ページの図を参照)

ミッドウェイ海戦における勝敗の結果、これまで圧倒的な優勢を誇っていた太平洋における日本の海軍空軍力が、米国のそれと同一レベル(日;制式空母×2、護衛空母×1、に対して、米;制式空母×2)にまで減少してしまっていたので、日本海軍にとっては仕切り直しの戦いであったが、米海軍は航空戦力だけではなく、虎の子の新型戦艦「サウスダコダ」「ノースカロライナ」も投入し、損失を恐れずに全力投球をした。しかし、日本海軍の巨大戦艦「大和」、「武蔵」は、空しくトラック環礁にまでノコノコと歩を進めたのみで、戦力温存のためであるか否かは知らぬがそこに待機させてしまった。

(アメリカとの消耗戦において、戦力温存思考など、何の意味も持たないものであることは、本書―前項~(10)―において既に述べたとおりである)

結局この二つの超巨大戦艦は、航空戦力との共同作戦という、戦艦にとって最有効な活用を試みられることが一度もないままに、「武蔵」がレイテ海戦において撃沈され、「大和」は同じレイテ海戦で謎の反転(敵前退却)をした後、沖縄戦に空しく戦艦特攻をして、結局始めから終わりまで全く何の戦果をも挙げえずに撃沈されてしまった。この二つの軍艦に勤務して命を落とされた多くの優秀な乗組員の方々にとっては気の毒な言い方ではあるが、「大和」と「武蔵」は、旧帝国海軍上層部における無能愚鈍のシンボルとして終わってしまった。

3.第二次ソロモン沖海戦(s17.8.24)の概要-

「陣容」~日本軍は空母2、護衛空母1を本隊とし、その前衛隊として戦艦、巡洋艦、駆逐艦からなる戦艦部隊を前進させ、索敵、敵航空戦力の分散、艦隊決戦、対潜水艦防衛、不時着遭難者救助、敵空母に対する直接攻撃、など多彩な機能を期待したのはミッドウェイからの教訓であった。

対する米軍は空母2、戦艦1を主力とするこれまた大艦隊を派遣してきていた。

航空機は

日本が戦闘機78、艦船攻撃機99に対して、

米側は戦闘機70、艦船攻撃機104、

総指揮官はミッドウェイのときと同様、日本軍が南雲忠一海軍中将、米側はF.J.フレッチャー海軍中将であった。

「索敵と発見、攻撃」~

8.24-

0415時;日本の主力隊から索敵19機発進-発見なし

0705時;米陸上哨戒機が護衛空母「龍驤」を発見

0900時;日本前衛艦隊から索敵6機発進

1029時;米「エンタープライズ」から索敵23機発進

1145時;空母「サラトガ」から日本護衛空母「龍驤」攻撃隊38機発進~1357時;「龍驤」を攻撃し、撃沈に成功

1225時;日本前衛艦隊からの索敵機が「エンタープライズ」を発見

1230時;「エンタープライズ」からの米索敵機が制式空母「翔鶴」「瑞鶴」を発見

1255時;「翔鶴」から第一次攻撃隊(関衛少佐以下の37機)が「エンタープライズ」に向けて発進~1438時「エンタープライズ」に攻撃、250kg爆弾三発を命中させたが撃沈に至らず、「エンタープライズ」は大火災を消火した後飛行甲板を鉄板で修復しつつ後退し、戦線を離脱した。

1400時;「瑞鶴」から第二次攻撃隊発進、しかし、「エンタープライズ」が戦線離脱をしていた為、夕刻1612時まで執拗に捜索したが何も発見できずに夜間に帰艦

「結果」~

日本;沈没-護衛空母1(「龍驤」)、航空機損失59

米;中破-制式空母1(「エンタープライズ」)、航空機損失20

戦闘機の進化、航空戦法の進化、に於いて

米軍機の高速化、チームワーク上の機動化に対して、

日本軍の職人芸依存、戦闘機メカニズムの進化がないこと、

などによる格差が航空機と熟練飛行機乗りの損失格差となり、この格差が戦力自乗の法則によって拡大しつつあることが明らかである。しかし、日本サイドは、防御力の弱い小型護衛空母「龍驤」を本隊から切り離してガダルカナル島の空襲に用いたための「龍驤」の搭乗員損失が大きかった。

米爆撃機搭載の爆弾が500kgであるのに対して日本軍の爆弾は250kgと非力であり、そのために、アメリカと同等の500kg爆弾搭載装備であったならばならば撃沈可能であったかも知れない「エンタープライズ」を取り逃がしてしまった。

このように、既にアメリカに時間を稼がせたときの日米間における技術力と生産力格差が拡大した中ではあったが、日本軍の油断のない二段階索敵の発進は常に米側に先んじていた。