6.
決戦の前日六月四日連合艦隊旗艦「大和」の敵信班がミッドウェイの北方海上にいるアメリカ空母による呼出信号を傍受した。これは直ちに司令部に報告され、山本五十六がこのことを南雲艦隊に打電しろといったが、主任参謀黒島がアメリカによる無線傍受を恐れて、その必要はありませんと答えた。
「赤城」の通信班も多分傍受している筈であろうし、とも言った。山本五十六もそれ以上は厳しく命令しなかった。
察するに、山本はこのとき、(既に真珠湾攻撃の前後から始まっていた)一種の無気力状態がピークに陥っていたのであろう。
しかし現実には機動艦隊旗艦「赤城」の通信設備は貧弱で、レーダーがなかった。それに、日本側は敵機動艦隊が来ることを所期していたのであるならば、通信が傍受されてそれに敵がおびき寄せられれば、反って我が方の思う壺ではなかったのかとも思うのだが・・・・
この一事を考えても、艦隊司令部は「大和」以下の主力戦艦部隊を持って、機動艦隊の前衛とし、南雲に対して艦を接して、直接に作戦を指導し命令し続ければよかった。
▶東京や、出先南方軍における軍将官連中が、殆ど毎晩のようにどこかでやっていた宴会浸り、芸者浸りを、せめて戦争の間くらいは自粛していれば「赤城」の通信・情報施設を充実させ得るくらいの費用は間違いなく出来たであろう。
*-戦争が始まってから、米国より帰国したある人(実松譲元海軍大臣秘書官)は「アメリカの官庁は夜になっても赤々と灯がついており多くの人々が残業をして頑張っているのが分かったが、日本に来て見ると夕方にはもう皆帰ってしまって、灯が消えている。これは日本は負けるなとその時感じた」と語っている-
また元海軍少将、アメリカ駐在武官横山一郎が、
s17年、交換船で帰朝したときの感想を次のように述べている。
「・・・不思議だったのは、軍令部が泊り込みをせず、出勤退庁してることでした。これじゃ戦に勝てんと思った。それで僕は軍令部は作戦をやっているんじゃないか。作戦に夜も昼もないんで、交代で休むのは結構だが、それを出勤退庁とは何事か、といったんだが、効き目はなかった」
7.
日本軍の暗号を解読して、ミッドウエィ島侵攻の意図を察知した米太平洋艦隊司令長官のチェスター・W・ニミッツは空母攻撃部隊のフレッチャー・スプルーアンス両少将に次のように言った。
「日本軍がミッドウエィ島を占領しても、後から充分に準備をしてゆっくりと取り返せば良い。戦況不利なら退却し給え」、と言い、ミッドウェイ島の戦略的な価値を、少なくとも当面は、さほど重要視していない考えを示した。勿論そこにはアメリカの余裕と自信の裏付けがある。
ニミッツがスプルーアンスに対してこのような指示を与えた理由は多分こうである(推定)
1.日本海軍は仮にミッドウェイをやってもそこで終わると思う。そこから更に進んでハワイ占領や米本土攻撃をしないであろう。(それは真珠湾における日本軍の中途半端な行動から推定して大体分る。)
2.私はスプルーアンスをリラックスさせようとしてし、そうすることで私自身もリラックスしようとした。しかし、珊瑚海海戦で大破した空母「エンタープライズ」の修理を3日でやれと指示したように私は実際必死になっていたのだ。
ニミッツは日本の山本と違い、フレッチャー、スプルーアンス両少将と(当たり前なことではあるが)直接作戦会議を持ち、
「まともにぶつかれば、現段階において日本軍の戦力は我が方を圧倒していて勝ち目がない。したがって我が方は確実に打撃を与え得る場合にのみ日本艦隊を、それも日本の航空母艦艦隊に限定して攻撃せよ」
と明確に指示した。ニミッツはまた投入可能な全航空母艦をミッドウェイに投入することとし、戦艦部隊である第一任務隊はアメリカの西海岸防衛のために留め置いた。(「第二次大戦-海戦辞典-1939~45」~福田誠編著~1998.9.16~株式会社光栄)
このニミッツの処置は、戦艦大和を旗艦とする日本連合艦隊の戦艦群がハワイ攻撃においても、ミッドウェイ作戦においても、形式的に機動艦隊の後を、全く無意味にのこのこと付いて行ったのと比較される。
スプルーアンス少将はニミッツのこの「日本軍がミッドウエィ島を占領しても、後から充分に準備をしてゆっくりと取り返せば良い。戦況不利なら退却し給え」、という言葉を聴いてリラックスできたが、リラックスしたことによって却って闘争心に火がついただろう。
アメリカ海軍は少なくとも、
「僕はえらい怖い作戦を引き受けてしまった。果たして大丈夫だろうか?」とか、
「今度早逃げをしたのでは、山本大将から何を言われるか判らないから、行って死んで(=負けて)来てやるのだ」とか非理性的な言葉を口走る司令官を実戦部隊の長に据え置き、あるいは獅子翻敵だの金鵄鳥王剣だのという念仏に陶酔して、それを近代殲滅戦争の中に表面的に適用しようなどという、殆ど少年漫画のような人物を実戦部隊の参謀長に据え置くなどということはしていなかったのである。
スプルーアンスは、第十六任務隊の前任指揮官ウイリアム・ハルゼー中将が病気(作戦上の心労のためにストレスから皮膚病になった)で入院してしまったため、その代わりの代行指揮官としてハルゼーの推薦によって第十六任務隊の指揮官に任命されたのであり、情実や序列による任命ではなかった。
実際、スプルーアンスは航空作戦を指揮した経験がなかったのであり、そのため、日本の空母がまだ二隻しか見つかっていない段階において、しかもTBDドーントレス雷撃機の航続距離をはるかに越える遠くから、優勢な日本軍に対して攻撃隊発進をすることに不安を感じて狐疑猶予し、悩んでいたのであるが、参謀長マイルズ・ブラウニング大佐は、ミッドウェイ島を攻撃している最中であるために動きが制約されている日本機動艦隊に対して先手をとって攻撃するのは今だ!と強く言った(この米参謀長マイルズ・ブラウニングのスプルーアンスに対する積極進言そのものも、日本軍の手の内を既に察知しているというアメリカ軍の強みを明白に示すものであり、アメリカによる日本の暗号解読自体が、結局、人材とその当用における闊達さと奥の深さでの日米間の格差を示している)。そこでスプルーアンスは忽然と気持を決定し、空母「エンタープライズ」と「ホーネット」が持つ全航空戦力を動員して日本艦隊に対して航空決戦を開始したのである。
これで解かるように、ハルゼーはスプルーアンスに関して、その思慮深さとファイターとしての闘志、この両方からよく観察していたことが解る。
そして、スプルーアンスは日本の南雲と同様に、参謀の意見を容認したのだが、やったことは逆であり、危険な賭けに相対して後退するのではなく、逆に危険な賭けに相対して前に出たのであった。
▶南雲-草鹿とスプルーアンス-ブラウニングの行動の対比を攻撃隊発進の違いに焦点を絞って要約する。この違いがどのようにして両者の明暗を分けたかも明らかになる。
スプルーアンス;
敵艦隊発見の報に接すると、護衛戦闘機隊(数が不足していた)を殆ど付けずに雷撃隊41機、そして、これと符牒を合わせたミッドウェイ陸上雷撃隊51機を攻撃に発進させ、その85%が日本の機動艦隊上空護衛制空隊の戦闘機に食われてしまったが、日本の機動艦隊上空護衛制空隊がこの米雷撃機隊に専念している間隙を縫って、別途発進していた米降下爆撃隊が日本の空母を発見し攻撃したためにこれが功を奏して日本空母4隻全部を撃沈してしまった。
南雲;
米雷撃隊がゼロ戦に食われているのを見た南雲(と草鹿)は、既に戦闘酣にさしかかっているにも拘らず、陸用爆弾積載の攻撃機隊をハダカで出すことに躊躇し、
ミッドウェイ島攻撃隊に加わっている制空部隊をいったん収容して、これを護衛制空隊として付けて出そうとしたため、飛行甲板を空けなければならず、それで陸用爆弾装備発進待機中の攻撃隊をいったん格納庫に収め、ゼロ戦を収容した。そこに米機が来襲してしまったために全く成す術もなく米機に蹂躙された。
(以上は結果論法でもある。もし南雲が戦闘機の配備と、雷撃機の武装転換に間に合って、これが戦果を挙げていたならば、「慌てずに十分な備えをした沈着冷静な南雲の勝利」-ということになるわけだ。)
▶アメリカが日本の暗号を解読して、米空母部隊が迎撃に出てきたことはこの場合に限っては、日本軍にとって明らかに天佑であった。
(但し日本軍が油断慢心をしていなければという条件がつく)
もしアメリカが日本の暗号を解読していなかったならば、ミッドウエィ占領が成功したかもしれない。そしてミッドウエィ島の占領そのものは日本にとって(非常に疑わしい事ではあるが)ハワイ攻略のための有力な足掛りに、もしかしてなれたかもしれない。
しかしアメリカは、ニミッツがスプルーアンスに言ったように、ゆっくりと空母部隊を増強編成して、いずれ空母10~15隻体制で大反撃に出て来たであろう。そうなれば非常に大変なことになったであろう。)・・・であるから、日本軍が仮にミッドウェイ島を占領したとしても、アメリカの海軍が劣勢な航空戦力のまま、これは大変だと大急ぎで反撃に来て、山本五十六が望んでいた全戦力による決戦が起きる可能性はなかったのであり、アメリカはゆっくりと、国力に物を言わせて大戦力を準備して反撃に出たであろうから、そうなれば山本以下の連合艦隊司令部の読みはいかにも甘かったということになるのであるが、しかしそれは、アメリカ本土を征服するだけの能力がなく、ジリ貧に陥る不可避な運命を予め承知し、そのことに焦らざるを得ない立場から来る、どうにもならない弱みでもあったであろう。