2.

a.

昭和十七年五月一日~四日、MI(ミッドウェイ)作戦の図上演習において、連合艦隊参謀長宇垣纏は、ミッドウェイ攻略前にアメリカの機動艦隊が日本の機動艦隊に攻撃を仕掛けてくるという想定をし、(しかし、後にそれは現実のものとなったのだが)、その結果(後に実戦で証明されたように)図上演習上においてもわが航空母艦が撃沈されてしまったにも拘らず、これは撃沈されなかったものとすると言い放って、再び図上演習に参加させるなど極めて強引なものであったために、「もしかして、アメリカの機動艦隊がミッドウェイ近海に出てきていて日本の機動艦隊に攻撃を仕掛けてきた場合、ないしはアメリカの機動艦隊が日本の機動艦隊に攻撃を仕掛けるために、ミッドウェイ近海に来ているかもしれない可能性を想定しなければならない場合にどうする」という視点からの、より深刻な検討がうやむやのままに終わってしまい、後にこの強引な机上の裁定が日本軍の、ミッドウェイ海戦惨敗における原因の一つになった。

b.

[(昭和十七年)五月二十五日、第一回目の作戦会議が連合艦隊と南雲機動部隊の幹部によって行われた時、宇垣参謀長が第一艦隊司令長官南雲忠一に尋ねている。「ミッドウェイ基地に空襲をかけているとき、敵基地空軍が不意に襲い掛かってくるかもしれない。そのときの対策はどうするか」南雲中将は思わず航空参謀の源田実中佐を見る。源田はこう答えた。

「わが戦闘機を持ってすれば鎧袖一触である」

すると山本五十六は源田に言った。

「鎧袖一触などという言葉は不用心きわまる。実際に、不意に横槍を突っ込まれた場合にはどう応じるか十分に研究しておかなくてはならぬ。この作戦はミッドウェイを叩くのが主目的でなく、そこを突かれて顔を出した敵空母を潰すのが目的なのだ。いいか、決して本末を誤らぬように・・・だから攻撃機の半分に魚雷をつけて待機させるように。それから索敵は最善をつくせ。・・・といった。特にこの後半部分、「攻撃機の半分は魚雷をつけて待機」と「索敵は最善をつくせ」の部分は直接南雲長官に向かって命令したという。

(太平洋戦争研究会~「太平洋戦争海戦全史」~1,994.12.30~新人物往来社)

*-(この山本五十六の命令を、南雲-草鹿-源田という航空艦隊のライン達は守らなかった。

南雲艦隊の索敵は半分に手抜きをされ、この手抜きの雰囲気が索敵員のやる気合い抜けにまで影を落とした。

南雲艦隊の空母は全艦の搭載機をミッドウェイ島地上攻撃用の爆弾搭載にしてしまった。

そして、このことが、いざ、予期しない米航空艦隊との戦闘開始に対する再準備の数分間の遅れに繋がり、ミッドウェイ海戦全敗の主要な原因になってしまった。)

この時点で未だ連合艦隊司令部の参謀たちにも、南雲以下の機動艦隊司令部にも作戦の本質が了解されていないのが分かる。実際、宇垣参謀長は「敵の機動艦隊航空機が」といわずに「敵の基地航空隊の飛行機が不意に襲い掛かってきたときに・・・」と質問しており、南雲はそれに答えられないでいる。

源田は「鎧袖一触です」と答えており、草鹿龍之介機動艦隊参謀長は、連合艦隊参謀から「ミッドウェイ島占領が第一優先」と聞かされていたと後になって言っているがそれは事実だ。

そのためにミッドウェイ島への第一攻撃隊隊長が再攻撃の必要ありと飛行機から打電したのに応えて、待機していた全機を陸上攻撃用に転装し直すよう、南雲に上申してしまった。

結局、我々は、

・兵力をミッドウェイとアリューシャンとに分割したことと、

・大和以下の主力艦隊を前衛に出してミッドウェイ島を艦砲射撃しなかったこととが、

「ミッドウェイ島再攻撃を要する」→「再攻撃のための航空機兵装転換によるもたつき」→「アメリカ軍による先制攻撃に遅れを取る」、という因果関係によって、この海戦における敗因の一つになっていることを見出す。勿論、ミツドウェイの敗因をいくつか限定的に列挙して「これだ」と明快にすることはできない。非常に多くの因果関係が作用し絡み合い、原因が結果を生み、その結果がまた別の原因として作用するのだが、全体が悪い方へと我々を導いた。

(この、天候が悪く、濃霧が立ち込め、波が荒く、寒く、そして無人島である、戦略的に利用価値が殆どないアリューシャン攻略をミッドウェイ攻略に組み合わせる作戦構想は当初連合艦隊にはなく、山本はミッドウェイからさらにハワイ攻撃を見ていたのであるが、もともとミッドウェイ作戦そのものに反対している軍令部の、単に、「我々もちゃんとやっているんだ」、という、体面誇示、体面回復的な意図しか他に何の意味もないような注文付けにより、アリューシャン~ミッドウェイ間海域制圧のための、このアリューシャン抱き合わせ作戦実施を妥協的に呑んだのである。山本は多分自信過剰に陥っていたであろう。空母を6隻から4隻に削っても、アメリカが出てきさえすればいけると思っていたのだろう)