(18)
南雲、草鹿の両人は、この二人が航空母艦を主力とする機動艦隊の、夫々司令官と参謀長であるにも拘らず、アメリカ機動艦隊の空母を真珠湾で撃ち洩らしたことの意味が分かっていない。
そして英雄だ、豪傑だと持て囃されたから、もう嬉しがって完全に頭に血が上ってしまったが、そのために後日になってミッドウェイでアメリカの機動艦隊によって全滅させられるという憂き目にあってしまった。
大本営報道部はハワイ作戦の成功を、軍艦マーチ付きの鳴り物入りで、大戦果として報道したが、アメリカ航空艦隊を討ち洩らしていることについて、問題点として新聞にコメントしておく必要があったのである。
草鹿竜之介は終戦後に回想記の中で、真珠湾作戦のときに淡白な攻撃をしてしまった点について、不謹慎にも、「これは禅の獅子翻擲という思想を実行したのである」と自己弁護的に語っている。
しかしこれは禅の表層的な概念を多分に趣味的に実戦に応用したものであり、近代戦争の実戦を担当する参謀長としてあるまじき不謹慎なものであるから厳しく糾弾されなければならない。その糾弾は次のように簡潔な問答形式としてまとめれば解りやすい。
問い~獅子翻擲とは何か
答え~獅子が獲物を仕留めてもそれを打ち捨てて何処かえ行ってしまうことである
問い~ライオンは普通そのようなことをしないと思うが?
答え~しない。ライオンは獲物を仕留めたらそれを食べる
問い~ならばなぜ獅子翻擲などと言うのであるか
答え~これは禅の標語であって、物事に対して変転自在、融通無碍で執着しない心を初心者にイメージ的に説明するためのものだ。だから単に形容ないしは比喩でしかない
問い~その比喩表象を戦法として、そっくり形の上で真似しようとしたのか
答え~結果的にはそうである
問い~結果的にとは?
答え~外形だけではなく、その精神で行こうとしたつもりであったであろう。しかしその精神の真髄は体現されておらず単に形だけを真似たような結果になってしまった。しかも形さえも本当に真似が出来ていない。なぜなら、獅子翻擲の獅子は獲物を完全に仕留めて(殺して)から翻擲しているものと思うが、草鹿流の「獅子翻擲」なるものは、実際は「猫引っ掻き翻擲」でしかなかったのであるから。
問い~その精神とは
答え~さっきも言ったように執着しない心だ
問い~それは実戦の中で示されたか
答え~示されていない。その逆であり、草鹿は終始、執着そのものであるかのような言動を示し続けた。執着を断つなどということはとても難しい公案である。
我々の生が執着そのものとして、執着の作用で命を保っているのだからであり、執着をしないように心がければもうそうすること自体、「執着しない状態」であろうとすることに執着しているという一つの執着状態であるほどである
問い~獅子翻擲という観念に執着してしまったというのであるか
答え~そうだ
問い~近代戦争に獅子翻擲のような禅の想念を導入する理由、合理的必然性が明確であったか、そして実際に導入しただけの効果はあったのか?
答え~不明である。何も示されていない。多分戦力を温存したいという気持ちを無意識に合理化しようとしたのではないか。それとも単なる素人の禅趣味であるか、いずれかであろう。日本が戦力を温存している間にアメリカは戦力を大きく増強することも考えていない。
問い~本当はどうしたらよいのか
答え~その時々で何が最善であるかを考えるしかないのではないか。初めから獅子翻擲というような観念に囚われるべきではない
問い~具体的に・・・
答え~雨が降れば傘をさす。雨がやむと傘を閉じる。強情を張って傘を差し続ければこれは執着である。しかし日差しが強くなったらばまた傘をさす手もある。晴れたから傘はたたむものだと思っていればこれは一つの執着である
問い~真珠湾奇襲をどのようにしたら良かったと思うか
答え~米国艦隊を全滅させることに捉われ切ることではなかったかと私は思う。捉われ切ってその先に獅子翻擲が見えてくるのではないか.その場合の獅子翻擲とは、アメリカと妥協しての講和推進ということになるのではないか.(あまり欲張るなということだ)
この草鹿龍之介はやはり剣術や禅の言葉、「金鵄鳥王剣」というイメージを好んでいた。これは大上段からパン!と軽快に面を打って、すぐにサッとまた上段に剣を舞い戻すのだそうで、猫引っ掻き運動と同種である。勿論、近代戦争とは何の関係もない概念(というよりは少年劇画的趣味)であることに違いはない。旧日本海軍はこういう不謹慎・無責任な人物を作り出し、出世をさせて、選りによってこの時期に戦争の要である機動艦隊の参謀長にしていたのである.
草鹿はまた次のようにも言っている。
「本作戦の主目的は南方攻略部隊の背後と側面を防衛するためである。その目的がほぼ達成されたため、これ以上長居をするべきではないと・・云々」しかし、アメリカの空母を打ち洩らしたのであるから、日本の南方攻略部隊の背後と側面の不安を排除したとは到底言い得ないのであり、これは草鹿の言い訳でないとしたならば、草鹿の航空戦力に対する無理解を物語るものであろう。
草鹿のいう変転自在、融通無碍が口先だけの趣味でしかなかったことは、次に引用(筆者が判りやすく意訳)する宇垣纒連合艦隊参謀長が書き残した「戦藻録」においてなされている草鹿への批判によっても明らかであり、草鹿は、現実においては変転自在、融通無碍とは正反対の、一つ覚え的に単調な作戦しか出来なかったのである。
「南雲部隊の戦歴は真珠湾、インド洋、ポートダーウィンなどすべて据え物斬りで、我彼の航空戦力が互いにフリーハンドで海上野戦をするという厳しい戦闘経験がない。
草鹿参謀長は゛十分な調査と精密な計画をした上で斬り下ろす一刀にすべてを集中する゛などと一刀流的な名言を高調したが、広大な海面に展開する敵兵力に対して事前に十分な調査をし、完全な索敵を期しがたく、状況の変化に即応することが大切である。南雲部隊においては、事前の計画をそのまま実行する以外、機会を捉え、状況に即応して臨機応変な処置をすることが一度もなかった」
・・・
この後のミッドウエィでも見るとおり、大東亜戦争における日本海軍の戦術的な敗因の100%が、連合艦隊司令部、ならびに実戦部隊における司令官や参謀の能力、闘志、根気、識見の不足にある。・・ということはこの時点における日本海軍が、勝とうとする軍隊であることを放棄して、戦争ゴッコ軍隊、内部論理の中で自己陶酔をしている軍隊、即ち、自分たちの任務が何であるかという本質を忘却し、責任を忘れてしまった軍隊に堕してしまっていたために、本当の人事が行われなくなっていたことを物語る。
軍隊の唯一の使命は戦争に勝つことであり他にはない。
したがって、人事は勝てる人であるか否かという点に要諦が絞られるのだが、勝てる人物をその位置につけようとする気持ちを持つために、そして、実際に勝てる人物をその位置につけ得るためには、人事をする人々(=全てのエリート達)自身が、日ごろから勝つための仕事をしていなければそれはできない。
何となれば、そのような人事的眼力は日ごろから勝つための仕事をしていなければ、出来てこないのだからである。
しかし、実際はそれが殆どされていなかったのである。
注意:かくのごとく日本の軍幹部たちが、勝ち切るということの峻酷さを見失っていたのだが、対米戦の終局的な敗戦によって戦後の我々は勝ち切るということの意味を益々見失ってしまった。例えばF1レースなど、日本のレーサーにとって優勝ではなく出場することが彼等の意味になっていて、それで13着だの25着だのという結果を繰り返した挙句引退して日本に帰国すればそれでもう「元F1レーサー」ということで大名士になれるのであるから笑わせた話だ。
オートバイレースにおいても一回世界チャンピオンになればすっかり安心してしまって、欧米のライダー達がそうであるように、翌年も必死になって地位を守ろうとはしない。その結果、翌年は風船の空気が抜けたようになってしまう。
参考:山岡鉄舟の剣術
元旗本の剣道者中条金之助は維新後は徳川慶喜に従って江戸を去り、静岡で百姓をしていたが、あるとき上京し、旧知山岡の道場にも立ち寄り一試合申し込んだ。中条はこのときには未だ、昔はそれほど強くもなかった山岡の剣術が、今ではどのようなものに成長しているか知らなかった。しかし、山岡は刻苦精錬、既に絶対不敗の上天に位置していたのに比べ、中条は未だ依然として斬った斬られたという勝負剣術の中で地上を這い回っている段階であったから、立ち会うや瞬間に一撃され、ついで二撃、三撃、とされ、打ち倒れたところを更に追いかけて四撃、五撃、六撃・・・と徹底的に打ち据えられたので、「無礼な・・」と憤然として道場を去り、憤懣やる方のない帰路、忽然、「自分が参ったといわなかったために撃ち続けられたのだということ」に気がつき引き返して山岡に詫びた。
「毎年正月の道場開きのときに父(山岡)はきまって無刀流の独特な「五点」という組太刀(剣道の形)を使いましたがその相手がいつでも決まって中条さんでした。勿論、刃は引いてありますが真剣ですからバッ、バッと火花が散って凄いようでした」
(山岡の長女松子刀自談)
解説:草鹿竜之介は山岡鉄舟が創始した一刀正伝無刀流の四代目の師範家を継いでいる。
しかし、草鹿が称揚し、海軍作戦の規範にまで仕立て上げた上述の剣禅一致と称する名文名句の数々は、山岡鉄舟の真実の剣術とは似て非なるものであることがここに述べた事例からも察せられるであろう。