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この山口多聞を海軍少将から海軍中将に昇進させて、機動艦隊の司令長官に任命する役割は当然海軍大臣及川古志郎が負うべきものであったが、この海軍大臣は、真珠湾奇襲作戦を実行するために山本五十六を連合艦隊司令長官から機動艦隊司令長官に降すこともできなかった。
かつて、日露戦役の際、当時の海軍大臣山本権兵衛が、来るべき日本海海戦でロシアの艦隊との決戦が予定される日本連合艦隊の司令長官を、現任者日高壮之亟から東郷平八郎に強引に変えようとする理由は、機敏で柔軟性に富むが理屈高い日高よりも、頑迷なまでに目的に忠実であろうとする東郷のほうが良いと思ったからで、山本権兵衛は四歳年上の、親しい友人でもある、同郷薩摩出身の日高を東郷に取り替える旨非常に苦しい思いを押して日高に直接告げた。日高は激高し、顔面蒼白となり、腰の軍刀を引き抜いて「これで俺を殺してからその人事を行え」といったが、諄々と理を説く山本権兵衛の説得に対して終には、承諾した。山本権兵衛の人事的な慧眼は勿論、このとき内心必死で自分を抑制しつつ、終に解任人事を承諾するに至った日高もまた偉いものであった。
しかし、昭和の海軍大臣及川古志朗は、山本五十六の思想を理解し得たか否か、理解し得たとして、山本が、その希望するような実戦部隊を直卒する人事を発令する気になったか否か、その気になったとしてその人事を発令するような果断力を発揮しえたか否か、そのいずれをも及川古志朗に期待するのは、あたかも猫に買い物を言いつけるに等しく、難しいことであった。
(アメリカは違っていた。真珠湾の失敗を理由としてキング太平洋方面艦隊司令長官を解任したアメリカのノック海軍長官は、未だ少将の身であったチェスター・ニミッツを海軍大将に飛び石進級をさせて後任にしたが、結局、ニミッツの先輩格である多くの米海軍司令官はニミッツの力量と人格に服従した。
また、ミッドウェイ海戦直前、航空機動艦隊司令長官ウィリアム・ハルゼーが病気になって入院したときに、ニミッツは、後任はだれが良いかとハルゼーに聞いた。ハルゼーはスプルーアンスだと答え、ハルゼーも直ちに同意した。そして、この人事は正しかった。)
上述のように、永野修身軍令部総長は自分の作戦方針に確たる裏づけを持ち得ず、漫然、「山本がそこまで言うのだから・・・」と裁定したのだが、もともと自分が抱いていた作戦構想そのものが、軍令部作戦課の作文的な案を丸呑みしただけのものであったからであるため、「そこまで言い」さえすれば何でも良いという感じの乗り移り裁定につながった。
このような人物であるために、南雲や草鹿が(この両名は、真珠湾で「猫引っかき逃げ方針」を主導したという唯一の事例を除いては、真珠湾においても、ミッドウェイにおいても、殆ど源田実航空参謀に戦闘指導の詳細を丸投げすると言う惨状なのであったにも拘らず)不適任であるなどという考えが永野の愚鈍な頭の中には浮かんでこない。
山本は内心、永野修身を軽蔑し、見限っていたので、自分が南雲や草鹿を山口多聞や角田覚治に変えようと思ったとしても(山本がそう思ったかどうかは不明である。山本はそれより自分が機動艦隊を直卒して行きたがっていた)一度駄目だと思った人間をもう相手にしなくなるという山本の性格からして、永野にそれを言い、押し切るという気にはならなかったであろう。
しかし、平時も当然のことながら、特に臨戦態勢に入ろうと欲する以上、組織はいっせいに臨戦態勢人事にshiftしなければならない。特に実戦部隊の司令官クラスの人事に関して、
▶積極思考者である
▶判断が明晰である
▶危険、難事、切迫、に際して判断がぶれない
▶熟練者であること(無知、怠慢、丸投げは不可)
▶自分の戦争を戦う気組みがあるか否か。
(*自分の戦争を戦うとは、負ければ自分が失格者として社会から抹殺されなければならないという自覚を持って戦うことを言い、誰かに戦争をしてもらっていながら自分で戦っているような気持ちになっているという、バーチャルリアリティ戦争ごっこに堕落しないことである)
(*自分の戦争をする人は、可能性がある場合、部下を危険な状況に投入することに躊躇しないが、自分の戦争を戦えない人は可能性のない局面で他人の命を投げ出すことに躊躇しない。そして、決して責任を取ろうはしないで逃げ捲るものである)
などを重点として人を判断しなければならないのであるが、それは急にできるものではなく、結局平時からの延長上の問題となる。人事上の急激な動きは敵に何かを推測させる材料を与えるかもしれない。この点からしても結局平時の延長上が肝要であるということが成り立つ。
昭和日本海軍の軍令部総長の職位には、大角岑生-伏見宮博恭-永野修身-及川古志郎-嶋田繁太郎・・・というふうに、ずらり、無能人間が雁首を揃えて続いて就任したのだが、軍令の最高階級職に、何故にこのような無能力者が連続して就任し得たのであるかといえば、それは天皇直卒という統帥権を騙って、日本海軍が自閉集団と化し、自分たちの内部の論理に準拠して人事を私物化し合うに至ったからなのであり、そこでは競争や賞罰の原理がもう働かなくなっていたのである。
(これは自分たちが仕えるべき行政政治権力(=内閣)が非力・不勉強であるために、それをよいことに自閉内部論理利権集団と化している、終身雇用が保証された現代日本官庁の役人と同一である。)
しかも、エリート集団海軍兵学校-海軍大学校を卒業してエスカレーターに乗ってしまった後は、すっかり向上心を失ってしまう提督が多くなった。
旧日本陸海軍-中でも高級幹部達は、「戦争を実際に遂行して勝ち切らねばならない」という彼等に国民が寄託した唯一の使命を忘れて、軍隊ゴッコに陥っていたのであり、そのために却ってお気楽に対米戦強行を呼号しえた。
実際、本当に自分たちの使命を意識していたならば、そして、勝ち切ると言うことが何を意味するのであるかということを本当に考えていたならば、そう気楽に対米戦強行という言動は取りえなかったはずだ。
ハワイ奇襲が大成功とされ、鳴り物入りの全国宣伝が行われて、山本五十六がこの戦役における英雄と化してからは、海軍において誰も山本五十六の考えに異を唱えることが難しくなってきたから、南雲、草鹿を解任して、より優れた人に変えることは難しくなかったであろう。
しかし、この両名もまた成功した作戦の指揮官、参謀として令名が上がっており、この二人の首を挿げ替えることは、真珠湾作戦が失敗であったことを示してしまうことになり、やり辛かった。
だが、この二人は解任されてしかるべきであった。
真珠湾攻撃が成功とされた後、この二人は当時多くの日本国民がそうであったように気炎が上がり、おれは正しかった、おれは英雄だ、という慢心に蝕まれてゆく。