➡米英がどのような尊敬できないやり方をもって中東の石油を搾取してきたか。
その一つの実例として、イランの場合を取り上げれば概略次のようである。
イランに内政干渉をして傀儡政権をでっち上げた最初のお手本はアメリカの師匠イギリスで、1,921年、ペルシャ(今のイランのこと)の軍人レザー・ハーンを傀儡に仕立ててこれを後押しした。
狙いは勿論イランの石油利権確保にある。
レザーは後に自らをイラン国王であると僭称し、レザー・シャー・パーレヴイと名乗って即位した。
しかし第二次世界大戦後、イギリスはこのレザーが中々イギリスの思うままにならないことに業を煮やし追放して、息子のレザーをシャー(皇帝)に即位させる。この頃からイギリスの弟分アメリカのOSS(アメリカの諜報謀略機関CIAの前身)が介入し始めて、イランの警察組織を強化させ始めた。
この時期に併せてイギリス系石油利権会社アングロ・イラニアン石油がその利権のうち40%をアメリカのスタンダード系石油会社に売却した。
しかしイランも黙ってはいない。イラン国民会議は、イランの富豪モサデクを首相に任命すると、このモサデクは国営イラン石油会社を設立してアングロ・イラニアン石油の利権を取り上げてしまった。イラン人はアングロ・イラニアン石油がイランにおける石油収益のうち僅か16%しかイランに還元していないことに怒ったのであるが、実際この還元率は、これを知ればヴェニスの高利貸シャーロック氏も顔面蒼白になるであろうという搾取率であった。
しかしイギリスはこの接収に対抗して世界中の石油会社を煽動し、イランの石油不買運動を展開したから、イランの石油生産量は全盛時に比べて1/4に、そして更にもっと減少して、全盛時のなんと1/20にまで低迷した。
次いでアメリカのCIAが出てきてモサデクの失脚と新しい傀儡の製作に着手する。まず、モサデクに関する悪い噂をこしらえてイラン国内に流し、次いでアメリカのマスコミに流し、更に世界中に流した。
ついで、パーレヴィ国王を脅かしてモサデク解任命令を出させるとともに、新しい手先となるべき人間としてザへディ将軍という人物を首相に任命させ、更に札束を配って反モサデク勢力イラン人を糾合し、この者共に銃や戦車を持たせた。こうして、金と暴力所有という二つの誘惑にうかうか便乗したイラン人群集が暴動を起こし、ザへディ将軍を担いでテヘランを制圧してしまった。
復権した傀儡国王パーレヴィが亡命先のローマから帰国したが、アメリカ軍とCIAにそそのかされてイランの非イスラム化「白色革命」に着手する。
この白色革命というのはイランを自由化、民主化し、キリスト教文明圏の一員に変えようとする米英のお有難~~~い思し召しではあったが、このような、積み木で家を建てるような方法が巧く行くものならば世の中は苦労がない訳だ。しかし実際に行われたのは新たな石油利権樹立と、イラン政府の石油収益取り分のアメリカへの回収を狙う武器の売りつけである。
そしてCIAの下部機構のようなイランの秘密警察SAVAKを創設して米英の内政支配に怒っているイラン人を逮捕、拷問、処刑させたから、イラン人達の間に広範な敵意と憎しみが燃え広がり、遂に預言者ムハンマドの子孫ホメイニ師が台頭して、イラン国内に反アメリカの大勢力を形成するに至った。国王パーレヴィがホメイニの隆盛を恐怖して逮捕投獄するに及んでは、イラン全域に民衆の暴動が発生してしまったので、これを制圧しようとしたSAVAKが暴動民4,000人を殺戮するという恐ろしい事件が発生した。
この頃から、アメリカがイランへ支払った石油代金を回収するために、イランの重武装化が一段とエスカレ-トをし、遂に1,974年に至ってアメリカは、イランに対して核燃料と原子炉の供与を開始した。イランに蓄積したこの核能力を後年に至って、イランの自主革命を成し遂げたホメイニが受け継いだがアメリカはこのイランを悪の枢軸の一員、テロ国家であると世界に喧伝するに至る。気違いに刃物だという触れ込みであるが、刃物を供与したのはアメリカなのであった。
「1,978年八月、SAVAKが映画館を焼いて、中にいた人々5,000人を焼き殺した。その後の九月八日には暴動民衆4,000人が上空からの軍用ヘリコプターによって乱射され町中が血の海と化した」
この事件をきっかけとして、イランの人民革命暴動が全国的に激化し、イラン国軍までもがこれに同調してパーレヴィに牙を剥いた、そしてホメイニも潜伏先のパリから凱旋帰国し、イラン全土を掌握したので、遂に米英はイランから撤退を余儀なくされてしまった。この革命によって欧米のイラン資本はイランにおける全ての利権を喪失してしまった。
一昔前の時代であれば米英連合軍がイランに直接侵攻してこの苦境を一挙に逆転させ、イランの直接植民地化に成功したであろうが、偶々時代が第二次世界大戦後の、侵略国間相互牽制期に入っていたから、東側のソ連圏を除く西側世界においてはそのようなことはもうできなかったのである。
(注)~しかし、最近アメリカはイラクでタブーを破って直接侵略を始めた。だがテロ国家退治、大量破壊兵器撲滅・イラクの開放・民主化などというお上品な、言い掛りの為の格好をつけざるを得ず、そのために方法が中途半端であり、腰砕けになりつつある。
➡欧米人達が石油の利用法を発見したがアラブ人達は未だ主権国家設立に到らず、石油の利用法も知らず、したがって本来はアラブの人々が行うべきものである所の、中東の地下資源に対する所有権の原始状態を所有権の熟成状態にまで持ってゆくという前段階闘争を欧米人達が代行した。即ち、
ⅰ-欧米諸国が、中東のどの地域の地下資源をどの国が支配するかという利権取り闘争(互いに半ば合意の上での利権取り闘争)の見取り図を引く
ⅱ-見取り図上の、未来の自国が保有すべき利権地域に軍隊を派遣してこの地を制圧しつつ、原住民の中から適当な領主・王様・独裁者などを選び出してこの地域の主に据え
ⅲ-次に欧米諸国の代表達が寄り集まって地域の国境線を引いて国に仕立て上げ
ⅳ-この国々に対して石油採掘-加工-販売の権利を設定する(権利設定の相手は当然独裁的な王でなければならず、権利行使による利益の分配率は王達に知らせず、勿論、著しく欧米にとって有利なものでなければならない)
ⅴ-王家達は受取った利権料を、自分達の豪華な浪費生活の贅沢費に使い、自分達の権力保持の為と隣国同士の戦いに勝利する為に、欧米諸国から大量の武器を購入し、残りは、国民の為にではなく自分達の蓄財と欧米の投資家たちの為に欧米に向けて投資した。したがって、そこには技術の開発もなく産業も育ってはこない
ⅵ-アラブの人民が石油の権利を獲得しようとして立ち上がれば、このようにして蓄積したアラブの国家暴力と、欧米からの派遣軍隊が共同して残忍な弾圧が繰り返される。先取特権樹立を巡る西欧諸国間の競争の、否応なしの厳しさ-(とにかくふんだくった奴が勝だ)-というものが弾圧や騙し取りの悪辣さを加速し続けたために、それが中東の地に遺恨と憎悪の一地帯を造り上げてしまっている。
このような必然的な過程の恩恵によって今の資本主義的先進国の繁栄が成り立っているのである
ⅶ-だが結局アラブの人々は彼らの石油を彼ら自身の手にしてしまった。しかし、依然として王政・独裁制による石油利権の偏在が存在し、それを欧米諸国に加えてロシアや中国が加わり、王制・独裁制を保護しつつ石油を獲得している。そして云うことを聞かない国はイラクやイラン、そしてリビアなどのように戦争で叩かれたり、経済封鎖などによって貧困に追いやられたりしている
ⅷ-アラブの地下資源を民主的に分配する方法がない。だからアラブ人は民主制を知らず、民主制の基本である所の起業と組織労働と交換経済を構築するすべを知らない。アラブ人はイスラム教と政治を分離させることに非常に抵抗するであろう。しかしそれをしないとアラブの民主化は決してできない。
アラブの石油から得られる金は
▶アラブ人の福祉や公共投資に向けられ
▶アラブの起業家に貸し出され
▶アラブ人達は石油の売り食いに頼ることなく、生産と労働を習得しなければならない
彼らが自分の力でこうしない限り、地球の石油が枯渇するまで彼らの煩悶が打ち続いて、終わることはないであろう。