5-3.国家間暴力は、
地球という限定された宇宙空間においてする人間の暴力表現の極大なものであり、この問題を巡って我々は最も厳しく理性の練磨を要求されている。
この問題を軽視し、眼を背け、恐れ、嫌い、怠り、内的、外的なもろもろの葛藤を回避し続ければ、我々の生の退化が、したがってまた長期における内的自己崩壊が発生するであろう。
5-4.非武装中立という考えに従っている国は世界中探しても一つもない。
*-(例外的に、日本がその非常にエキセントリックな憲法の中で非武装を規定している。(但し中立を規定してはいない)しかし現実には、地上最も強大なアメリカ軍に土地や経費を提供して、日本を巡る国家間暴力処理を委託しているのであるから、日本はその偽善的な憲法の規定にもかかわらず、傭兵を保有しているのであり、非武装なのではなくて単に自分の手を直接に汚していないというだけのものである。
実際日本がアメリカという傭兵の力に頼っていなかったとしたら、ここ70年間における日本の運命は、今よりもはるかに危険で苦難に満ちたものになっていたであろう。)
中立は非武装によってではなく、武装によって保証される。尤も中立が常に最高の基準であるわけでもない。中立は往々にして怠惰、利己主義、見ぬ振り、などの現れでもあり得る。
そのために非武装にしろ、中立にしろ、それが不退転の決意を伴い得ないものであることは、人々によって察知されているから、この理念が自分たちにも、他の人々に対しても説得力や尊敬を呼び起こすことは決してない。
理念や願望というものは事実に逆らっては勝てない。事実というものは逆らうべきものではなく、統御するべきものだ。そして事実は次のことを-即ち、生き残ったものが一切の死者の口を封じてしまうことができるので、生き残るための最後の(時には最初の)拠り所として暴力が実在していること-を示している。だから非武装者の主張は(表面はともかく)それを聞く者の内心に於いては全然問題にはされない。