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競争を如何に組織するか
ロシア共産主義社会建設実験は、レーニンを首領とする一握りの理想家集団が、当時、既にロシアに立ち込めていた革命ガスへの引火火花として作用し、革命ガスが爆発して起ったものである。
この革命は歴史の必然によってではなく、旧帝政の衰弱と、人間の持つイデオロギーへの信仰によって惹き起こされた。革命に用いられた主要な力はイデオロギー信仰と組織された暴力であり、旧ロシア帝国権力を打倒した後に行われた革命勢力内での主導権争いにおいても、イデオロギー信仰と革命の方法に関する正当性を争う為の主要な力は組織された暴力の強弱であり、理論ではなかった。
革命勢力内の主導権争いが収束した後には当然、統制と抑圧によって秩序を形成しなければならない。
しかし、レーニンは次のことを計算していた―直ちに競争を人民に与えること、そうする事によって、人民の自由に対する衝動を方向付け、麻痺させておくことが肝心である。その為に競争を次のように組織する。
[コミューンや都市や工場や部落のいたる所から飢えている人々、失業者を探し出せ。金持の徒食者、ブルジョアジーの下劣な子分、インテリゲンツィアを名乗る怠け者を暴きだせ。
労働生産性を高めて、貧乏人にも新築した家を与え、子供が飲む為の牛乳を毎日配ってやることが出来るようにする事~競争はこのような観点から展開される。競争はコミューン、消費・生産共同体、労働者・兵士・農民代表ソヴェトにおいて行われる。
この競争の中で人民の中から組織の才能が頭角を現し国家的な管理者階級に抜擢される。
このような才能は人民の中に無尽蔵に見出すことができるであろう。]
(レーニン-「ソヴェト権力の当面の任務」-1918.4.28)
要するに、怠け者を暴きだせ、働きが少ない割に食い過ぎる奴を吊し上げろ。程々に呑んで程々に食う競争を(つまり飲み食い自粛コンクールを)させた後に、如何にしてガツガツと働く競争をさせると良いかと言うものだ。
新しい立派な家に入居して、毎朝お子様が規則正しく一壜の牛乳を配達して貰う為の「貧民振り品評会」が出てくる。暴きたて吊し上げた奴共の数を競う「吊し上げ数量比べコンクール」が流行する筈だ。
(勿論、実際そうなってしまった)
人民いわく;早く吊し上げの実績を作らないと、この俺が吊し上げられるぞ。急げ!日ごろから吊し上げたいと思っていた奴には事欠かない。いくらでもいる。
吊し上げコンクールの主催者(=レーニン&スターリン)独白;フフン、私がガミガミ言わないでも奴等が一斉自動運動をしてやってくれているじゃないか。
[模範的なコミューンは遅れたコミューンに対して教育し牽引すべきであり・・・新聞は模範的コミューンの成果と経営の方法、成功の原因を追求し、一方においては資本主義的な悪癖-怠惰や無秩序や投機趣味など-によって蝕まれているコミューンを発表すべきである・・・労働者は彼等の労働と休暇の正しい比率を計算出来るようにならなければならない。・・・コミューンの経営成績比較が人々の興味と研究の対象となるようにしなければならず、優秀なコミューンは速やかにしかるべき報奨を受けるようにしなければならない。(例えば休暇を与えたり、月給を上げてやったり、より大量の文化財や美術品や贅沢品を供与する等・・・)](同)
計画経済進行の模範を探し出して表彰した後、休暇を与えたり月給を上げてやったり、文化財や美術品を供与すると言うのだが、資本主義の株式会社のやり方とよく似ている。・・・と言うより、一体何処が違うのであるかよく分らんという感じである。
(人民いわく―オレは美術品なんか要らん。
文化財など、そんな下らん物も要らん。代わりにもっとゼニ持って来い)
まるでボーイスカウトの模範コンクール大会みてぇな感じであるが、本気で一年中こんなことをやるつもりであるのか?
かくの如く、レーニンの指示する競争のイメージは貧寒で白けたものでしかないのであるが、これは革命の基調が抑圧を主たる要素としているためである。
よく「権力が外に敵を作って国民の目を逸らす」などと云うが、目を逸らすという消極的な効果を狙うだけのものではなく、権力が自分自身の標的(存在理由)をでっち上げるという事の方が本質的である。
レーニンの場合、その敵は地主、富豪、資本家、貴族、中産階級、技術家、インテリ、などであり、勿論、敵共を過激に、容赦なく暴き立てて、出来るだけ目立つやり方で殺せという内密の指示を何回となく出した。だから後にスターリンが引き継いで完成したこの世のものとも思われぬ国民粛清、辺境民族絶滅事業もその萌芽はレーニンの指示にあったのである。
即ち、よくそう言われているように、レーニンの指導が正しく、後継者のスターリンがそれを悪いほうに捻じ曲げてしまったのではなく、実際はスターリンはレーニンの教義を徹底したに過ぎなかったのである。
そしてレーニンの指示の根拠は共産主義革命理論それ自体の―即ち階級の絶対矛盾的敵対という二元論と、一方によるもう一方の殲滅の必然性―の中にある。
革命への一番の早道は人々の欲情を開放し、憎悪と怨恨を晴らすための復讐を公認推奨することだ。
しかし、Marxはそのことを警戒していた。
[私は誤解が起きないよう次のことを云って置かなければならない。私は資本家や地主の姿を悪く描いている。しかし、個人は経済的な環境制約の中に生息させられている所の、階級関係・階級的利害の担い手としてのみ問題になる。私の立場は経済社会構造の発展を自然科学的な過程として解明しようとするものであり、社会的な諸関係の責任を個人個人に押し付けようとは思っていない。個々の人間は、その人がいくら自分は社会的関係からの影響を受けていないと言っても、所詮は社会的関係によって造られたものでしかない。
経済学の領域では・・・他のあらゆる領域と同様な敵に出会うというだけでは済まない。経済学の取り扱う世界特有の性質は非常に激しくて、非常に険しい、極端な憎しみに満ちた人間の奥底にある情念―即ち利己と私怨による復讐という女神を開放する。]
(「資本論」序文)
敵対は階級間にあるのであり、したがって、階級に対しては容赦のない憎しみと殲滅を、だが階級を担う個人に対しては導きをもって・・・と言うのだ。しかし、Marxが心配していたことは必然的に実現した。吊し上げを怠ったり、気の優しさや何かの理由でためらったり、内心こんなことをしていて良いのであろうかと訝ったりする人々は、「あの野郎、不熱心だ。さては反革命分子か」と言い掛りを付けられ、自分が吊し上げられるという気違い沙汰の社会が現れてくるのだ。
*-(1975.4.17、カンボジァでポル・ポトが指導した共産革命軍が首都プノンペンに居住していた200万人という途方もない人数の全市民を、着のみ着のまま徒歩でカンボジァ辺境に移住させ、農地開拓、ダム建設などに酷使させたのだが(膨大な数の病死、餓死者が出た)、その追放の理由は彼等が「プチブルジョワ階級の奴等」であるからだということであった。そこには、一片の慈悲もない、猜疑と憎悪に満ちた精神がポル・ポト一派を支配していたという背景が窺える。だがプノンペン市民の殆どは貧困労働者であったり失業者であったりしたのであり、彼等の多くは新しい政権に協力しようとして待ち構えていたのであった)
[ポル・ポト時代を生き延びた多くの人々が、幹部達があざけりを込めて彼等に言い放った、ぞっとするような言葉を覚えている。
「(お前達を)生かしておいても何の得にもならない。
(お前達を)失っても何の損にもならない」]~(「ポル・ポト伝」~デービット・P・チャンドラー-山田寛訳~めこん1998.6.25)
そう遠くはない昔、(そして今でも世界のいたる所で)、殆どそれが一般的であったかと思わせる凄惨な搾取、死に至らしめるまでの苛酷な労働と悪い環境、不潔で有害な衛生状態と極めて貧弱劣悪な食事。
単に消耗品のようにして苦しい日々をやり過ごす希望のない人生。搾取という人間現象に対するMarxの激しい悲哀と憤怒。―この激情がMarxに経済理論を語らせたのであってその逆ではない。