.粛清

ⅰ.独裁者の権力根拠が偉大、英雄、神聖、などという妄想とこれを支える恐怖と褒章という二つの道具であるということ、即ち、虚偽によって作られた楼閣であるということはその独裁者が一番よく知っている。

そこで独裁者は楼閣の崩壊を恐怖し、化けの皮が剥げるのではないかと猜疑し、おのれの権力を常時確認し続けないと気が休まらない。そのために自分に対して猜疑し反抗しそうな奴、自分に対して猜疑し反抗しそうな奴だと妄想された奴、忠実ではあるが有能である為に将来自分に牙を向きそうな奴、将来自分に牙を向きそうな奴だと妄想された奴、生意気な奴、どことなく態度が気になる奴、を手当たりしだい逮捕し粛清する。そして、粛清から新たに発生する毒ガス~報復に対する恐怖、罪悪に対する懼れ、そして、粛清を正当化しようとする絶え間のない強迫、~この三つの毒ガスに当てられて駆り立てられ、もっと粛清を拡大再生産する。この粛清の拡大再生産スパイラルが進行して途方もない、気狂い染みた粛清の地獄踊りが繰り広げられる。

ⅱ.粛清の決定と命令権は独裁者唯一人のものであり、この意思が委任される事も分与される事もない。何故ならば、それを許す事は独裁者が逆粛清される道筋を作るからであり、粛清という独裁権力の命を手放すのは自殺行為である。

(注)~[ヒトラーはドイツ人の人種的な優越性とナチス国家社会主義の優越性を確信していた。

そして、自分が天命によりその権化としての役を果たすのだということを本当に信じて晴れやかであった。そのためヒトラーにはスターリンがしたような気狂い染みた粛清をする必要がなかったし、実際しなかったのである。もしヒトラーがスターリンのように自己不信と猜疑心の固まりであったとしたら、ナチス親衛隊長ハインリッヒ・ヒムラーのような人間がまず粛清されていたであろう。

ヒトラーが居住し、政治の指揮を取っていた山荘「狼の巣」に、ヒトラーの侍医ホフマンの娘バルドウル・フォン・シーラハという人が夜の食事会に出席するために訪問したとき、何も知らぬシーラハがヒトラーの対ユダヤ人種絶滅政策に関して、次のような下心の無い問いかけをした。

「総統様、私、この間アムステルダムでユダヤ人の輸送列車を見たんです。ぞっとしたわ。あの気の毒な人たちがどんな様子だったか、あの人たちはきっとものすごくひどい扱いを受けているのよ。ご存知なんですか。あんなことお許しになるんですか?」

しかし、ヒトラーは気まずい沈黙の後立ち上がって挨拶をすると、部屋に引っ込んでしまった。~(「私はヒトラーの秘書だった」~トラウデル・ユンゲ~足立ラーベ加代+高島市子訳~草思社~2004.1.28)

しかし、問題はこれで済んだ。フォン・シーラハは次の日に早々とウイーンに帰っていった。

これがスターリンであったならばすぐにフォン・シーラハと、その親のホフマンは消されてしまっていたであろう。

ヒトラーは自分に課された天が命令する義務を著書「わが闘争」の中で次のように言った。

「独裁者になるべき運命の人間は誰かから強要されるのではなくて自分から進んで独裁者になろうとしているのだ。

独裁者になるべき運命の人間は他人から後ろを押されて進むのではない。自分で標的を決めて行く。

ある民族を支配すべしという天命の声を聴く者は民衆に対して[あなた方が私を必要として迎えに来てくれるのならばご協力します]などと言う必要はない。彼には自分の使命を遂行する義務がある」

ドイツ人はヒトラーの天才的な演説の魔力に熱狂した。ヒトラーの演説と、直接にヒトラーに接した人々が感ずる圧倒的な影響力の内部には、ヒトラーの揺るぎのない確信~(自分が神から使命を与えられた天才であるということに関する完全な事実認識ともいうべき確信)~の力があるように見える。実際、ヒトラーの秘書であったトラウデル・ユンゲの回想によると、ヒトラーの強い破壊力が実際どのようなものであったかがある程度は思い致される。

「時々ヒトラーの助言者、司令官、スタッフ達が愕然とした顔つきで総統との会見か出てくるのを見た。彼等は太い葉巻をくわえて考え込んでいた。

その人達と私は後で話をしたものだった。

私よりもずっと頭がよく、経験豊富な彼等でさえも、何度もひどい目に遭っていた。

ある命令がどうしても実行不可能であることや、ある指示の遂行がどうしても無理だということを説得しようと、彼等は鉄のような決心と、非の打ち所のない書類と論拠で武装して総統に立ち向かっていった。すると未だ彼等が話し終わらないうちに総統が話し始める。これで全ての抗議は力を失い、彼の理論の前では無意味になってしまう。彼等にはそれがおかしいということがわかっているのだが、怪しい点を指摘することができない。ヒトラーのもとから退却すると、彼等は絶望し、打ちのめされ、まるで催眠術にかかったように、それまではあれほど固く揺るぎなかった自分の見解についても自信を失った。たくさんの人々が彼に抵抗を試みたのだと思う。

でも多くは疲れてぼろぼろになって、荷車を悲惨な最期まで転がって往くままにしてしまったのだろう」~(トラウデル・ユンゲ-「私はヒトラーの秘書だった」~草思社-2004.1.28)

これを見るとヒトラーの支配力が、必ずしも恐怖や暴力に唯一の基礎を置くものではなかったことがわかる。]