.目的権力は盲目的である。

それはエネルギーがそれ自体盲目的であるのに似ている。目的権力は標的を創造することができない。目的権力は既存の標的を利用し、縋り付こうとする。

不適応になってしまった標的類がまだ根強く支配し、否応なくこの標的をめぐって闘争せざるを得ないままに時が過ぎてゆくという現象は、目的権力の盲目性の作用によるものであり、この盲目性は人をして不利と見られる改革や反逆に踏み込むことをためらわせる。

そして古いリングの中で深刻な勝ち負けの意地を張り合う。

 .目的権力が有効権力を踏みにじる。

勝ち負けの呪縛は、ライバルの手柄を嫉妬し潰そうとする。

「まず勝つことだ。標的実現は私のものだ。そのためには勝たねばならない。有効権力を表現するのはその後のことだ。」

かくして、狂気の目的権力が有効権力を圧倒する。

ライバルは無能であり悪である。だからまずライバルを潰さねばならない。超越や断念などはまったく問題にはならない。有効権力の標的について対立し、争う。しかし、本質は目的権力の争いであり、勝とうとして、対立を、自己主張を際立たせようとして、有効権力の標的が道具のように使われる。

強力なリーダーの不在は権力体の内部抗争を激化させるとともに、権力体の収束を解体して権力体を散漫なものに変質させてしまう。このとき、目的権力のエネルギーは派閥抗争のエネルギーに特化する。反対のための反対をしながら、その愚かしさに気がつかないような者共が恥ずかしげもなく跋扈猖獗する。無意味な標的、実行不可能な標的、有害な標的をスローガンのようにして喚く。政策闘争をそっちのけにして、スキャンダルの暴き争いに時間と税金を食いつぶす。

*-(大統領制と議院内閣制を比較すると、前者のほうが優っているのは後者における議員間の派閥抗争がエネルギーの多くを奪い取るからであり、権力標的のばらつきや散漫化が発生する。その上に派閥抗争という次元の低いことに長けた人間が主導権を握って道を誤るのである。)

有効権力が目的権力へと倒錯する。手段(山を右から登るか左から登るか)をめぐる論争はたちまち主導権争いに転換する。勝ち負けの呪縛が猛然と頭をもたげる。しかし、有効権力を実現するには権力闘争に勝たねばならないという事情も確かにある。

 .目的権力が不正直になると、

目的権力は身を隠し、暗闇の中で自分を有効権力であるかのように偽装する。そして、スローガンや、「やっている振り」が標的として偽造される。

 .勝ち負けの呪縛

ⅰ.すべてが権力闘争に勝つ為の手段と化す。標的は反標的へと逸脱する。理論の違いを巡る闘争は、その理論の正邪・真偽の戦いではなく、考えを担う人間間の勝ち負けに転化する。

互いに功績を奪い合うための競争が亢進して一歩も引けなくなったとき勝つためにすぺてを破壊して、どのような犠牲が出てもかまわないという気になってしまう。

ライバルの仕事を潰す事からエスカレィトして、権力体そのものの破滅さえ願うに至る。

しかし、闘争は権力体の目指す標的に対する貢献度競争であるように装わなければならない。

この最小限の誠実、または誠実振り演技を捨てれば負けてしまうであろう。

ⅱ.権力に理想を持ち続けるだけの人は、目的権力追求者に敗北する。何故ならば、多くの人々は目的権力追求者の力が強くて、先行きその者から権力の分与を期待できそうであるならばそちらの方を嗅ぎ分けて靡くからである。そして、上位権力が目的権力追求専門家であるとき、理想家よりも自分の同類を引き立てようとするかもしれない。

だが権力を取らなければ思っていることを実現することができない。そこで、理想を持つ者も一旦は理想に対して死んだ振りをして、まず目的権力者になる。しかし、死んだ振りが非常にしばしば、本物の死人を作り出す。理想の多くは現状に対する不満から出てきているのであるが、目的権力の成就が不満を麻痺させることにより理想もまた変質し、エネルギーを失い、忘れ去られて行くのであろう。

ⅲ.勝ち負けの呪縛―即ち、敗北と脱落に対する強い拒否感情が目的権力のエネルギーを産む。