s.20年日本敗戦、s26年朝鮮戦争に日本を参加させたくなったアメリカが講和条約締結・日本の独立回復とともに、日本の憲法改定-軍隊再建-朝鮮戦争への参戦を求めて、J・F・ダレス特使を派遣し吉田茂首相を説得した.吉田はこれを拒み平和憲法を固守しようとした.臨席したマッカーサーが吉田の肩を持ったためダレスは挫折して帰国した.しかし、その代償として日米安全保障条約による米軍の日本駐留を認め、もって開闢以来未曾有の外国軍隊の国土への導入を実施し、更に、この後も吉田は日本の憲法改定を拒否し続けた.
日本がこのとき軍隊を再建し、米軍を導入していなければ現在に至るまでの日本の対米従属化はなかったであろう.
しかし、国民の殆どが吉田の方策を嬉々として受け入れたから、
・アメリカが、日本に永久に軍を持たせないという方針のもとで一枚岩であったということはなかった
・現在、アメリカによる抑圧のために日本が憲法を固守させられ骨抜きにされたという被害者意識的歴史認識が間違っている
この二つのことが明らかである.当初日本は平和憲法の道を自ら嬉々として選んだのであり、今もそうだ.