宇宙内精神

イ.宇宙内精神なる言葉について解説をする-内は宇宙を受けて宇宙内であるが、宇宙の中に一回限り今いることの自覚を示す。内はまた精神にも掛り、このことによって次のような意味を表している。

1.私の内なるもので他人による吟味を受けないから隠したり飾ったりする必要がないし、外に向けて誇示する必要もない。表現は一切要らない。

2.上のような理由により表現加工の余地がないのでごまかしは全然効かないのだが、自己完結しているものであるためにごまかしが幾らでも効きそうに見える。しかしその時はこれを宇宙-内精神とはいわない。

3.自分の内部で自分が自分自身に向かってする自己肯定であり、自己自身の内奥で行われる自己自身への名誉の送達であるが故に、事実の裏付が必要であり、他人に自慢話をしても無駄である。弁明や開陳などをしてどうなるものでもない。

4.完成し切ることは出来ないが墜落をしてもまたやり直すことは可能である。(やり直しが出来ないと息が詰まる。)しかしやり直しを予め前提にしてしまってはもういけない。

ロ.国家的宇宙内精神-

1.集合体Identity(=主体性・自己同一性*-自分が自分であること-)の基本は生存と命運の共有と共有をもってする集合的存在の自己表現である。表現であるから対立者(=表現する世界)が無ければならず、丁度国家間の関係がそれに該当する。単体としての我々は生存表現のために必ず国家群に分裂しなければならなかった。

注意:1+1=2という基本数学原理の場合、この1という観念の中にもう差別原理がでている。

∴分裂が「1」の生みの親だ。

2.集合体Identityのうち極大なものは、今のところ国家Identityである。国家の発生が人類史上まだ新しく、またこれから先インターナショナルな世の中になるかも知れないから、国家に普遍性は無く、国家は過渡的な現象でしかないという人も居るかもしれないがそれは疑問である。

時間的に変幻しつつあるものの中においても普遍性は示現しうるのであるからである。

我々は最近になってやっと国家に辿り着いた。そしてこれが最後の形態であるか否かは、我々がこれから決めて行く事になるのだが、しかしこれから先、国家を超えて新たに来るべきものの予兆は今のところ全くない。

3.勿論、「人間は国家Identityをもたねばならない」などという命令は成立しない。しかし国家Identityが非常に多くの人々の生存によって引き受けられながら、逆にこの人々の生存を引き受けている状態を除外してしまえば個人が生きる場所と功績などはたかが知れたものであって、国家Identityを感じ取ることが出来ない生存は貧寒で軽い。勿論、国連Identityなどというドジなものは聞いたことが無い。(そのようなものは原理的に成立し得ないのだ。)実際、無国籍を気取る人々がいても彼らは知らず知らずの内に有形無形な国籍の恩恵と義務とに浸されているのであり、国家Identityを放棄または、剥奪された人間がどのような空虚感とニヒリズムに苛まれるかは多くの実例が示すところである。

4.国家を感じ取るということのうちに、国家と自己とを切り離して、独り国家と対立するような、あるいは国家を裏切ったり反逆したり売国行為をしたりすることをも含む。何となれば、切断や反逆や売国などの行為をしている人が、そうする事によってもう国家の表象を持っている訳だからである。

しかしそのような場合国家の恩恵を利用してはならず、期待してもならず、そしてその意図と結果が自分から出たものであるという条件が付くであろう。

5.国家的宇宙内精神とは個人の宇宙内精神を国に対しても荷わさせることを言う。荷わさせ得る為には、個人が国家に帰属するのではなく、個人が自分の国家を所有することが必要である。福沢諭吉が、「独立の心無きものは国を思うこと深切ならず。立国は公にあらず私なり。」と言ったのはこの事と同一の意味であるに違いない。高橋是清もまた、「国家というものは自己を離れて別にあるものではない。自己と国家とは一つのものだ」と語っている。

(注)高橋是清:日本歴代蔵相の系列中、独り群を抜いて聳え立つ。

▲日露戦争の戦費20億円のうち8億円をアメリカでの外債募集によって調達するという非常な難題を成し遂げる。

▲1931年からの経済恐慌に際し、金本位制を中止し、その結果発生する円安を容認し、もって輸出の増加を齎し、日銀が公債を直接買受けることによって貨幣を市場に放出する貨幣主導型の積極財政とあわせて、軍備拡張による景気刺激策をとる。しかしこのような財政出動は賢明にも、景気上昇のための一度だけの発火点として行われて、いつまでも続けて垂れ流すというようなことはしなかった。

結果、景気の回復と経済の持ち直しに成功して国を救った。

国、人種、民族が客体である限りそんなものは信頼できない。人がこうしたものに対して本気で対応することが出来るのはこれらのものに人が属するからではなく、たとえ嫌いでも何でもその人の属性(=目鼻立ち)であるからである。しかし個人の心を支配する権利は何処にも誰にも無いことからして、この国家的宇宙内精神はそれ自体独立して人を支配することは不可能であり、あつかましく大言壮語し、押し付けるような代物とは違って単に理念として独り天空で輝いている。実際、個人個人が自分で持っている夫々の国家的宇宙内精神の像とその実践とがもし存在し得たならば、その集合と交通とが国家的宇宙内精神の兆しのように漂う。

国家的宇宙内精神の行動指標を明確に、明示的に列挙する訳には行かない。国家間関係の中において、国と言うものが道徳的制約の無い青天井の下で動くために、明示的な指針は時の流れに沿って変化し得る。それを固定観念として具体的に定義する方法が無い。しかしその抽象的な指導想念は力の抽象的永遠性に関する次のような二つの条件として定位される。

1.力が強大である

2.終りの無い鍛錬を持つ


(系)~超越性を持つ

伝統が客体として別にあるわけではない。伝統は只今の行動の中に存在しており、今なお創造されつつある。国家Identityもまた今の時間の中で今自覚されうるが、それは自分が行い、創造するものなのであって、外から何かが到来するというようなものではない。