安楽死制度と死ぬ権利(金田一のブログ) -24ページ目

安楽死制度と死ぬ権利(金田一のブログ)

「生きる権利もあれば死ぬ権利もある」
死ぬことを進めるつもりは全くないですが、
どんな人でも安楽死のできる制度を求めていきます。

⑤現実と大幅にかい離した理想論を説き、

それと少しでもそぐわない事実や制度をこき下ろす

新法施行後には、病院と施設のスタッフには自殺幇助希望者の意思を尊重する義務が生じる。条件は、不治の病または怪我を負っていることと、自己決定できるだけの知的能力があることの2点。この条件がどれだけ幅広い病状や障害像の人を対象に含んでしまうかを考えると、暗澹とする。また、これでは劣悪なケアの施設や病院ほど死にたいと希望する患者・入所者が増えてベッドの回転率が上がることになり、医療やケアの質を担保・向上させるインセンティブは、もはや働かないのではないだろうか。


この人は日本でも無保険などでまともに医療を受けることができない人が大勢いることを知らないのだろうか?

ベッドの数も医者も足りないことも。


⑥自分と違う考えをハナから認めない

ィグニタスを運営する元弁護士のルドウィッグ・ミネリは、死にたいと希望する人には無条件に「死の自己決定権」が認められるべきだとの持論の持ち主である。


何か問題でも?


⑦安楽死という「ささやかな」希望の代わりに、理想論を説き、それで人を救った気分になる

「くぐりぬける力」ということを思う。障害に限らず、人は誰でも人生の途上で不運としか呼びようのないことと人生で出会ってしまう。それでも多くの人は、その不運によって突き落とされる絶望の中から、やがてくぐりぬけて、何とか生きようと思えるところに這い出してくるのではないか。もう死んでしまいそうな絶望的なところを、命からがらやっとの思いで「くぐりぬけ」た時、人はくぐりぬける必要が生じる前よりも深いところにある何かに触れるのではないか、それまで「これが自分だ」と思っていた自分よりも、一つ深いところにいた自分と出会えるのではないか、という気がする。

⑧安楽死の必要性や安楽死を望む人の声が皆無

そもそも、人はわざわざ死にたいとなど思わないし、死なせたいとも思わない。

そのような考えや制度ができるということはそれなりの理由があるはずだ、

しかし、氏は自分が人を死なせたくないというだけで全くそのようなことに触れない。

安楽死の記事なのに安楽死を望む人の声が全く出さないというのは変だと思わないのだろうか?

問題だらけの記事だったが、ネット上ではそれなりに支持を受けたのはなんだかなーと思う。