泰山(中国) | 世界遺産検定のお勉強ブログ(現在休止中)

泰山(中国)

植竹です!

今回は
中国泰山
を紹介します!

photo:01

テキスト公式キャッチフレーズ
人々の信仰を集める道教の聖地
泰山
中華人民共和国


登録年…1987年
拡張年…ー
危機遺産登録…ー

英名…Mount Taishan
仏名…Mont Taishan


位置…中国東部・山東省泰安市
経緯…N36 16 0.012 E117 5 60
面積…25,000 ha

登録区分…複合遺産
登録基準…(1),(2),(3),(4),(5),(6) (7)
登録ID…437


IUCN分類…III(天然記念物)


公式テキスト分類…アジアの複合遺産
公式テキスト掲載ページ…第①巻177p
公式サイトユネスコ本部(英語)

概要
中国五岳の筆頭として有名な泰山は始皇帝封禅の儀式
を行って以来、前漢武帝から康熙帝までが封禅を行った場所として有名なほか、自然も豊かな為、自然遺産としても認められ複合遺産に登録されました。

構成
標高1,545m、最高地点は玉皇頂と呼ばれています。霊山として古くから崇められてきたので、山中には多くの宗教建築が建てられていますが中でも有名なのが麓の岱廟です。

岱廟
皇帝たちが封禅の儀式を行ってきた場所です。何度も焼失している為、現在あるのはの時代のものですが、内部には東岳泰山神の出巡から帰還までを描いた全長62mの「東岳大帝啓蹕回鑾図」(とうがくたいていけいひつかいらんず」があります。
また城壁で囲まれた岱廟には8基の門があり、四隅に角楼がある他、歴代皇帝が建てた40余りの碑もあります。
photo:02



photo:03



photo:04



photo:05


岱廟から頂上までは約9㎞。およそ7,000の石段があり、登山道の途中には800を超える祀廟も立ち並んでいます。
更に登山道途中の崖には般若経や詩が刻まれています。
photo:06



photo:07



photo:08



歴史
紀元前219年
始皇帝がこの山で封禅をおこなったといわれています。
それ以来清代に至るまで十数人の皇帝が封禅をおこないました。

1987年には
複合遺産として世界遺産に登録されました。




特徴
道教の聖地として歴代皇帝のうち十数名がこの地で封禅をおこなったほか、一般人にも人気のスポットであり、数多くの文人墨客が訪れて『詩経』をはじめとしる文学作品に詠まれました。
また油松、赤松、黒松などの針葉樹や1,136種類の植物がみられる事から自然遺産としても価値が認められています。

逸話・伝説
岱廟の正殿である天貺殿は北京にある故宮の太和殿、曲阜の孔廟の大成殿と並ぶ中国三大宮殿のひとつに数えられています。

登録基準詳細
(1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
(5) ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例。
(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と、直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。
(7) ひときわすぐれた自然美及び美的な重要性をもつ最高の自然現象または地域を含むもの。



関連用語
中国五岳
東岳(泰山)、西岳(華山)、南岳(衡山)、北岳(恒山)、中岳(嵩山)の総称。

(紀元前778年 - 紀元前206年)中国の王朝。周代、春秋時代、戦国時代にわたって存在し、紀元前221年に中国を統一したが、紀元前206年に滅亡した。
始皇帝
(紀元前259年 - 紀元前210年)中国戦国時代の秦王(在位紀元前246年 - 紀元前221年)。姓は嬴(えい)、諱は政(せい)。紀元前221年に中国統一を成し遂げると最初の皇帝となり、紀元前210年に49歳で死去するまで君臨した。中国統一を成し遂げたのちに「始皇帝」と名乗った。中国の歴史上の重要な人物であり、約2000年に及ぶ中国皇帝の先駆者である。統一後は、重臣の李斯とともに主要経済活動や政治改革を実行した。始皇帝は巨大プロジェクトを実行し、万里の長城の建設や、等身大の兵馬俑で知られる秦始皇帝陵の建設、国家単位での貨幣や計量単位の統一、交通規則の制定などを、多くの人民が払う犠牲の上に行った。また、法による統治を敷き、焚書坑儒を実行したことでも知られる。
前漢
(紀元前206年 - 8年)中国の王朝である。秦滅亡後の楚漢戦争(項羽との争い)に勝利した劉邦によって建てられ、長安を都とした。7代武帝の時に全盛を迎え、その勢力は北は外蒙古・南はベトナム・東は朝鮮・西は敦煌まで及んだが、14代孺子嬰の時に重臣の王莽により簒奪され一旦は滅亡、その後漢朝の傍系皇族であった劉秀(光武帝)により再興される。前漢に対しこちらを後漢と呼ぶ。
武帝
前漢の第7代皇帝。

1636年に満洲において建国され、1644年から1912年まで中国を支配した最後の統一王朝である。中国の歴史上では、征服王朝の一つに数えられる。首都は盛京(瀋陽)、後に北京に置かれた。
康熙帝
清の第4代皇帝。諱は玄燁(げんよう、燁は火偏に華)、廟号は聖祖、諡号は合天弘運文武睿哲恭倹寛裕孝敬誠信功徳大成仁皇帝(略して仁皇帝)。在世時の元号康熙を取って康熙帝と呼ばれる。
封禅
帝王が天と地に王の即位を知らせ、天下が太平であることを感謝する儀式である。始皇帝以前には72人の帝王がこの儀式を行ったと『史記』には伝えられている。その歴史は三皇五帝によって執り行われたのを最初としているが、伝説の時代であるため詳細は不明である。始皇帝以後では、前漢の武帝や北宋の真宗など十数人が、この儀式を行ったと伝えられている。

(960年 - 1127年)中国の王朝。趙匡胤が五代最後の後周から禅譲を受けて建てた。国号は宋であるが、金に開封を追われて南遷した後の南宋と区別して北宋と呼び分けている。北宋期の首都は開封であった。
東岳泰山神
十二天の一人焔摩天に従う眷属の一人。中国の泰山の信仰と結びつき泰山府君とも書かれ、道教では東嶽大帝(とうがくたいてい)とも呼ばれる。
道教
中国三大宗教(三教と言い、儒教・仏教・道教を指す)の一つである。
詩経
中国最古の詩集。

関連遺産
北京と瀋陽の故宮(1987年、中国)
曲阜の孔廟、孔林、孔府(1994年、中国)

☆☆植から目線コメント☆☆
衝撃的な真実!
現在では頂上まで
エスカレーターが
あるらしいですよ!
国民に愛されるスポットとはいえ
ちょっと…ちょっとね^_^;


植竹でした。