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古代都市チョガー・ザンビール(イラン)

植竹です!

今回はイラン古代都市チョガー・ザンビールを紹介します!
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公式テキストキャッチフレーズ
古代エラム王国を守った聖地

古代都市チョガー・ザンビール
イラン・イスラム共和国


登録年…1979年
拡張年
危機遺産登録

英名…Tchoga Zanbil
仏名…Tchoga Zanbil


位置…イラン南西部フーゼスターン州
経緯…N32 4 59.88 E48 31 60
面積…?

登録区分…文化遺産
登録基準…(3),(4)
登録ID…113






公式テキスト分類…アジアの都市遺跡
公式テキスト掲載ページ…第①巻96p
公式サイトユネスコ本部(英語)

概要
古代エラム人が、現在のイラン南西部、イラクとの国境に近いフーゼスターン州に作った都市の遺跡で、神インシュシナクを祀った聖地でもありました。メソポタミア地方以外では数少ないジッグラトが存在しています。
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構成
三層のエリアに分けられるチョガ・ザンビールのうち、最も内側は、この遺跡の特徴とも言えるインシュシナク神に捧げる為のジッグラトが建設されました。このエリアは、ウンダシュ王の命で貯蔵庫を併せ持った寺院とともに建設されました。
その次の層は、インシュシナク神に次ぐ地位に入ると考えられる神々の為に11の寺院が建設されました。もともとの計画では、22の寺院が建設の予定だったと考えられていますが、建設途上で、王が死んでしまった為、その後の建設が行われなかったとの見方が有力視されています。
最も外側の層は、王宮や葬祭を行うための場所、王室の5つの墓があります。
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歴史
紀元前1250年頃
古代エラム王国のウンダシュ・ナピリシャ王が神インシュシナクを祀る為に王都スーサの南にこの都市を建設しました。

王の死後もこの都市が放棄される事はなかったと言われていますが、
紀元前640年アッシリア王アッシュールバニパルによって破壊されてしまいました。

1935年になって、
油田を調査する為の飛行中に偶然発見され、「チョガー・ザンビール」と名付けられました。

1951年から
1962年まで
実施された考古学調査によってチョガ・ザンビールの全貌が明らかになり、ジッグラトが世界中のどこよりも保存のいい状態であると考えられるようになりました。

これを受けて
1979年に、
イランで初めて、文化遺産として世界遺産に登録されました。



特徴
二重の城壁の中約80万㎡の中に、インシュシナクを祀る5層のジッグラトがそびえています。現在は高さ28mで、当時は倍以上の高さがあったと言われていますが、素材が焼成レンガと日干しレンガを積み上げたものだったので、崩壊してしまっています。このジッグラトですが、メソポタミア地方では多く見られましたが、それ以外の地域で見られるのは大変珍しいとの事です。


逸話・伝説
チョガ・ザンビールに残る膨大な数の寺院に基づいた学者の推測によるとウンダシュ・ナピリシャ王は王都スーサにかわる新しい宗教の拠点を作ろうとしていたのではないかと言われています。

登録基準詳細
(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。



関連用語
ジッグラト 古代メソポタミアにおいて日乾煉瓦を用いて数階層に組み上げて建てられた聖塔である。「高い峰」という意味がある。シュメール起源と考えられており、その後のメソポタミアの諸都市は神殿を中心に形成された。
古代エラム王国 古代オリエントで栄えた国家、または地方の名。紀元前3200年頃から紀元前539年までの間、複数の古代世界の列強国を出現させた。
インシュシナク神 スーサ市の都市神として崇められた。
アッシリア メソポタミア(現在のイラク)北部を占める地域、またはそこに興った王国・世界帝国。首都は、初期はアッシュールで、後にニネヴェに遷都した。南側にバビロニアと隣接する。チグリス川とユーフラテス川の上流域を中心に栄え、後にメソポタミアと古代エジプトを含む世界帝国を築いた。アッシリアの偉業は、ペルシア帝国に受け継がれてその属州となった。



関連遺産



☆☆植から目線コメント☆☆
最初ジッグラトってイスラム建築のミナレットみたいに尖塔なのかと思いきや、実は写真のピラミッドみたいなのそのものがジッグラトらしいです。びっくら。それにしても、飛行中に偶然こんなの見つけたら、操縦士大興奮ですよね!!


植竹でした。








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