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パフォスの考古遺跡(キプロス)

植竹です!

今回はキプロスパフォスの考古遺跡を紹介します!

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公式テキストキャッチフレーズ
美と愛の女神アフロディテの故郷

パフォスの考古遺跡
キプロス共和国


登録年…1980年
拡張年
危機遺産登録

英名…Paphos
仏名…Paphos


位置…キプロス南西部
経緯…N34 45 29.988 E32 24 20.016
面積…??

登録区分…文化遺産
登録基準…(3)(6)
登録ID…79




公式テキスト分類…古代ギリシャの遺産
公式テキスト掲載ページ…第②巻23p
公式サイトユネスコ本部(英語)

概要
キプロス島の南西部にあるパフォスはギリシャ神話における美と愛の女神アフロディテが生まれた場所として女神信仰の中心となった地です。



構成
ネアパフォスのアプロディテ神殿都市
パフォスの海岸沿い、ネアパフォス地区にある遺跡群。106.4 haが対象地域となっています。は貴族の邸宅であったと考えられている建物が多く存在しています。ローマからやってきた貴族の暮らした床にはヘレニズム期からビザンティン期にかけてのギリシア神話を題材としたモザイクが描かれていることでも知られています。
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ディオニュソスの家
2世紀末に建てられた、中庭を中心に部屋が並ぶ2,000m2 のグレコ・ローマン期の邸宅で、神話の場面やブドウの収穫、狩りなどを描いたモザイクで飾られています。入り口にはスキュラを描いたヘレニズム期のモザイクも残っています。建物は4世紀の地震で損壊してしまっています。

テセウスの家
2世紀に建造、7世紀まで使われていました。部屋数が100をこえる大規模な建物であるため、キプロスの行政官が暮らした邸宅だったと考えられています。テセウスとミノタウロス、ポセイドンとアンピトリテ、産湯をつかうアキレウスのモザイクが残されています。
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オルフェウスの家
ディオニュソスの家に似たグレコ・ローマン期の邸宅で、2世紀後半から3世紀前半にかけて建造されたものです。獣たちに囲まれたオルフェウスを初め、ヘラクレスとネメアのライオン、馬に乗るアマゾーンのモザイクが残されています。
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アイオンの家
部分的に発掘が行われていますが、4世紀中頃の作とされるモザイクが既に見付かっており、ディオニュソスの誕生から、レダと白鳥、カシオペイアとネレイデス、アポロンとマルシュアス、ディオニュソスの勝利などが描かれています。
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サランダ・コロネス
7世紀にパフォス港とネアパフォスを防御するために建てられたビザンティン様式の城砦。サランダ・コロネスとは「40本の柱」という意味です。1223年、地震で崩壊してしまいました。
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パフォス城
13世紀、フランク人がサランダ・コロネスの代わりとして、パフォス港西側に建設した城砦。1373年にジェノヴァ人が改築を行い、建設当初にあった2つの塔は15世紀末に片方が地震のため崩壊、もう一方は、16世紀にヴェネツィア人が爆破してしまいました。
現在のパフォス城の姿はオスマン帝国による修復後のもので、オスマン帝政期には、内部に監獄やモスクが作られました。城の上部には狭間胸壁があり、大砲が据えられていました。イギリスの支配下では塩をおさめる倉庫として使われていました・。
1935年、パフォス城は歴史的建造物として認められ、キプロス政府によって修復保護されています。
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アギア・キリアキ・クリソポリティッサ教会
4世紀に創建された教会で、かつては大規模なバシリカがありました。
11世紀、16世紀にそれぞれ別の教会がこの場所に建てられ、現在は英国国教会の聖堂となっていますが、それ以前の教会の遺構も残されています。聖パウロの柱があることでも知られています。
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クークリア村
クークリアはかつてパレオパフォスがあった場所に位置するパフォス近郊の村でペトラ・トゥ・ロミウを含む22.9 haが対象地域となっています。

アフロディテ神殿
紀元前12世紀、この地に豊穣神を祀る神殿として建設されました。礼拝室の周りに100室も部屋を持つ巨大な建物でしたが現在は崩れた塀や柱の断片、モザイク画のみが残されています。この神殿では円錐形の聖石が神の力を表す偶像として祀られていて、ニコクレス王によるネアパフォスへの遷都の後も、パレオパフォスはアプロディテ崇拝の聖地として、またローマ時代には銅貨の鋳造所として栄えました。この時代のコインにはパフォスのアプロディテ神殿を図案としたものもあります。なお、4世紀にキプロスがキリスト教化されると豊穣神崇拝は姿を消してしまいました。
クークリアのアプロディテ神殿遺跡は、南側に位置する青銅器時代後期の第1サンクチュアリと、北側に位置する1世紀末から2世紀初頭にかけての第2サンクチュアリからなり、第1サンクチュアリは、石灰岩を積んで作られた巨大な壁で囲まれた聖域があり、円錐形の聖石を中央に祀った祭壇も設けられていました。
ローマ期の神殿である第2サンクチュアリでもこの聖石崇拝は続きました。
1950年代以降、本格的な遺跡調査が行われていて、クークリアの考古学博物館には、村の周辺で見付かった発掘物が展示されています。
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レダの家
2世紀の建物で、食堂部分のみが現存しています。レダと白鳥を描いたモザイクがあり、オリジナルはクークリア考古学博物館に展示されています。
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カトパフォスのネクロポリス
通称、王家の墓。紀元前3世紀に建てられた、32.7 haの広さと100を超える墓をもつ地下墓地(ネクロポリス)で、ドーリア式の柱を持っています。中世にはこの墓地を住居とする者が現れ、19世紀には盗掘の被害にもあっています。20世紀になって本格的な調査が始まると、実際には王墓ではなく、上級官僚を務めた人物とその家族の墓ではないかと考えられるようになりました。
十字架の痕跡がある事から初期キリスト教徒が造ったと考えられています。
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歴史
パフォスには新石器時代から人類による居住跡がある事が考古学的調査によってわかっています。

紀元前1200年頃
ギリシャ人によってこの地にアフロディテを祀る神殿が建てられ、キプロス島内外から巡礼者を集めました。

紀元前4世紀頃からは、
商業的にも発展して、島内でも重要な都市になりました。

紀元前320年には
ネアパフォス(新パフォス)という海岸沿いの新都市に場所を移し、
エジプトのプトレマイオス朝古代ローマ帝国など支配者が変わる中、経済的・文化的な発展を遂げました。

一方、旧パフォスは次第に衰退してしまい、
391年にローマ皇帝テオドシウスがキリスト教以外の宗教を弾圧する政策をとるとアフロディテの信仰とともに廃れてしまいました。

1950年以降
大規模な発掘調査が行われ、

1980年には
文化遺産としてキプロスで初めて世界遺産に登録されました。

特徴
ギリシャ神話が信仰されていた時代の神殿の跡と、ローマ時代のパフォスの栄華をつたえるモザイク画などが特徴です。モザイク画はポセイドンやヘラクレスなどのギリシャの神々や酒宴、狩猟の様子、動物など様々なものがモチーフになっています。


逸話・伝説
2004年の報告によれば、パフォスの遺産保護の状況はキプロス国外の専門研究機関の協力もあり、おおむね良好とされています。2004年には年間で626,923人の入場者があったそうです。


登録基準詳細
(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。

1979年、国際記念物遺跡会議(ICOMOS)の調査が行われ、ホメロスの『オデュッセイア』など様々な書物で言及され、アプロディテ崇拝に直結した、神殿都市の普遍的な重要性および文化的価値が高く評価されました。同時にペトラ・トゥ・ロミウやカトパフォスについては、パフォスの急速な観光地化からの保護が必要とされた。1980年に正式登録。





関連用語
ヘレニズム ギリシア人(ヘレネス)に由来する語。その用法は様々であり、アレクサンドロスの東方遠征によって生じた古代オリエントとギリシアの文化が融合した「ギリシア風」の文化を指すこともあれば、時代区分としてアレクサンドロス大王(在位前336年~前323年)の治世からプトレマイオス朝エジプトが滅亡するまでの約300年間を指すこともある。また、ヨーロッパ文明の源流となる2つの要素として、ヘブライズムと対置してヘレニズムが示される場合もある。この場合のヘレニズムは古典古代の文化(ギリシア・ローマの文化)におけるギリシア的要素を指す。
ビザンチン文化 東ローマ帝国(ビザンティン帝国、ビザンツ帝国)で栄えた文化のこと。日本では、ビザンツ文化と呼ぶ場合もある。古代ギリシア・ヘレニズム・古代ローマの文化にキリスト教・ペルシャやイスラムなどの影響を加えた独自の文化であり、正教会を信仰する諸国および西欧のルネサンスに多大な影響を与えた。また一部の建築技術などはイスラム文化と相互に影響し合っている。
ギリシャ神話 古代ギリシアの諸民族に伝わった神話・伝説を中核として、様々な伝承や挿話の要素が組み込まれ累積してできあがった、世界の始まりと、神々そして英雄たちの物語である。古典ギリシア市民の標準教養として、更に古代地中海世界での共通知識として、ギリシア人以外にも広く知れ渡った神話の集成を言う。
ローマ神話の体系化と発展を促進し、両者のあいだには対応関係が生み出された。またプラトーンを初めとして、古代ギリシアの哲学や思想、そしてヘレニズム時代の宗教や世界観に影響を与えた。キリスト教の台頭と共に神話の神々への信仰は希薄となり、やがて西欧文明においては、古代人の想像の産物ともされた。しかし、この神話は古代の哲学思想だけでなく、キリスト教神学の成立にも大きな影響を与えており、西欧の精神的な脊柱の一つであった。中世を通じて神話の生命は流れ続け、ルネサンス期、そして近世や近代の思想や芸術においても、この神話はインスピレーションの源泉であった。
モザイク画 小片を寄せあわせ埋め込んで、絵(図像)や模様を表す装飾美術の手法。石、陶磁器(タイル)、有色無色のガラス、貝殻、木などが使用され、建築物の床や壁面、あるいは工芸品の装飾のために施される。この装飾方法は古くから世界的に見られ、宗教画や幾何学模様など様々なものが描かれており、歴史上、カテドラルの内部空間やモスクの外壁などの装飾手法として特に有名である。
ギリシャ人 古代ギリシャ時代におけるギリシャ人は、ギリシャ語を話し、特に自由民であるものをいう。ギリシャ本土だけでなく、小アジアやヨーロッパの各地にギリシャから移住した者の手によって建設された植民市の住民も含む。彼ら自身はヘレネスと称し、他者をバルバロイ(意味のわからない言葉を話す者)と呼んで区別した。
フランク人 西ヨーロッパにおいてフランク王国を建国した事で知られる部族集団。ラテン語ではFranci(フランキ)。語義は「自由な人」「勇敢な人」を意味すると言われ、英語で率直な性格を表す「フランク」の語源ともなった。また彼らの持つ独特の武器(フランキスカ)が民族名の元となったという説もある。西ローマ亡き後の西欧を支配する王国を建設したことから、東方の東ローマ帝国やイスラム諸国では一時、西欧人を指す言葉として用いられた事もあった。
ジェノヴァ人 ジェノヴァを中心にして1096年から1797年まで存在した国家の人々。
ヴェネツィア人 現在の東北イタリアのヴェネツィアを本拠とした歴史上の国家の人々。
オスマン帝国 テュルク系(後のトルコ人)の帝室オスマン家を皇帝とする多民族帝国で、現在のトルコの都市イスタンブルを首都とし、最大版図は、東西はアゼルバイジャンからモロッコに至り、南北はイエメンからウクライナ、ハンガリー、チェコスロヴァキアに至る広大な領域に及んだ。
英国国教会 16世紀のイングランドで成立したキリスト教会の名称、かつ世界に広がる聖公会(アングリカン・コミュニオン)のうち最初に成立し、その母体となった教会。もともとはカトリック教会の一部であったが、16世紀のイングランド王ヘンリー8世からエリザベス1世の時代にかけてローマ教皇庁から離れ、独立した教会となった。プロテスタントに分類されることもあるが、他プロテスタント諸派とは異なり、教義上の問題でなく、政治的問題(ヘンリー8世の離婚問題)が原因となってローマ・カトリックから分裂したため、典礼的にはカトリックとの共通点が多い。
バシリカ バシリカはギリシア語で「王の列柱廊」を意味するバシリケーに由来するとされるが、その正確な意味については議論がある。ローマ建築において、バシリカは裁判所や取引所に用いられた集会施設、またはそのような機能そのものを指す言葉として使われていたが、やがてローマ伝統の礼拝堂建築(および礼拝形式)ではなく、集団が一堂に集まる礼拝を必要とするキリスト教の教会堂の建築として取り入れられ、一定の平面形式を指す言葉となった。
グレコ・ローマン ギリシャとローマの様式が混合したもの。
スキュラ ギリシア神話に登場する怪物。上半身は美しい女性で、下半身は魚で、腹部からは3列に並んだ歯を持つ6つの犬の前半身(または首から上)が生えているという。6つの頭でできた帯をしているともいわれる。また、かつては人間であったともされている。壷絵では剣を持った姿で表される事も。
ポセイドン ギリシア神話の海を司る神である。イオーニア方言系ではポセイダーオーンとも呼ばれる。また、地下水の支配者でもあり、泉の守護神ともされる。
ヘラクレス ギリシア神話の英雄。ギリシア神話に登場する多くの半神半人の英雄の中でも最大の存在である。のちにオリュンポスの神に連なったとされる。古代ギリシア各地で神として祀られ、古代ローマに於いても盛んに信仰された。その象徴は弓矢、棍棒、獅子の毛皮である。
アフロディテ 愛と美と性を司るギリシア神話の女神で、オリュンポス十二神の一神である。美において誇り高く、パリスによる三美神の審判で、最高の美神として選ばれている。また、戦の女神としての側面も持つ。元来は、古代オリエントや小アジアの豊穣の植物神・植物を司る精霊・地母神であったと考えられる。アプロディーテーは、生殖と豊穣、すなわち春の女神でもあった。
プトレマイオス朝 古代エジプトのマケドニア系王朝(紀元前306年 - 紀元前30年)。アレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)の死後、部下であったプトレマイオス(マケドニア出身のマケドニア人)が創始した。首都はアレクサンドリアに置かれ、アレクサンドリアは地中海屈指の大都市・ヘレニズム文化の中心として、以前と変わらぬ繁栄を続けた。
古代ローマ帝国 古代ローマがイタリア半島に誕生した都市国家から、地中海にまたがる領域国家へと発展した段階以降を表す言葉である。従って厳密には古代ローマの体制が共和制だった頃を含んでいる。最盛期には地中海沿岸全域に加え、ブリタンニア、ダキア、メソポタミアなど広大な領域を版図とした。
テオドシウス 古代ローマ帝国の皇帝(在位 379年~395年)。わずか1年間ではあったが、東西に分裂していたローマ帝国を統一し、一人で支配した最後の皇帝となった。死後にローマ帝国は再び東西に分けられ、永久に統一されることはなかった。392年にキリスト教を東ローマ帝国の国教に定め、のちに西ローマ帝国および統一ローマにおいても同じくした。
初期キリスト教 最初期のキリスト教のことであり、イエスの直弟子(使徒)たちがユダヤ、ガリラヤにおいて伝道活動(布教)を始めた時代より、新約聖書の主要な文書が成立した後の西暦150年頃までをいう。

関連遺産



☆☆植から目線コメント☆☆
島国でありながら古代からギリシャやローマの影響を受け、様々な信仰を例証する遺跡が残されている面白い場所です。
中でもちょっと気になるのが、ネクロポリス。
写真の通り、古代からこんな風に地下に柱を建てて墓地を建設していたなんて、ちょっと不思議な気持ちに駆られます。

植竹でした。