ファジル・ゲビ、ゴンダールの遺跡群(エチオピア)
植竹です!
今回はエチオピアのファジル・ゲビ、ゴンダールの遺跡群を紹介します!
登録年…1979年
英名…Fasil Ghebbi, Gondar Region
仏名…Fasil Ghebi
位置…エチオピア北西部アムハラ地方
経緯…N12 36 24.912 E37 27 58.212
面積…―
登録区分…文化遺産
登録基準…(2), (3)
登録ID…39bis
分類…VI(資源保護地域)
公式テキスト分類…アフリカの宮殿・城塞・歴史的建造物
公式テキスト掲載ページ…第①巻246p
公式サイト…ユネスコ本部(英語)
概要
エチオピアの標高2,000mの都市ゴンダールにある王宮群が立ち並ぶ小高い丘で17世紀にアクスムから遷都して18世紀にかけて、ここを首都としていたエチオピア帝国ゴンダール期(ソロモン朝に含まれる)の歴代皇帝たちが居城や聖堂を建造した、200年の繁栄を物語る場所です。
構成
●ファジル・ゲビ
ファシラダス帝の宮殿(城、聖堂、修道院などを含む)…赤い砂岩でできた窓のフレームやアーチなどは現在もほぼ当時のまま完璧な状態で残されています。
ヨハンネス1世の図書館・国璽文書館
イヤス1世帝の宮殿
ダウィト3世帝の歌の館・宴の館
バカッファ帝の謁見の間
皇妃メントゥワブの宮殿…宮殿・聖堂・修道院からなる複合施設。
●ゴンダール
ダブレ・セルハン・セラシエ聖堂など44の聖堂群…エチオピアの典型的な宗教美術様式が見られる聖人のフラスコ画が壁や天井に描かれています。
ラス・ゲムプ…18世紀末に周囲に比べて小高い場所に封建君主のミカエル・セフルによって造られたゴンダール様式の最後の建物。エチオピア帝国最後の皇帝であるハイレ・セラシエ1世が宿所としていた。
歴史
17世紀初頭に、
熱心なエチオピア正教徒だった皇帝ファシラダスはキリスト教カトリックのイエズス会と対立し、ポルトガル人の宣教師を国内から追放し、内戦を終結させました。
※エチオピア帝国は1世紀頃から栄えて、4世紀にキリスト教(後にエチオピア正教となる)を国教化していましたが、イスラム勢力との交戦でポルトガルの支援を受けたのをキッカケにカトリックも流入し、内戦が起こっていました。
更に、それまでの皇帝が居住地を転々として来たのに対し、アクスムからゴンダールに遷都してそのまま定住しました。
1679年~1855年頃まで諸侯による覇権争いが始まります。
18世紀末には皇帝の権力が弱まり、本格的に諸侯が力を持ってる時代が続きました。
1855年頃、テオドロス2世によって国内は再統一されましたが、ゴンダールは破壊に遭い、首都はアジスアベバに遷されました。
(その後、エチオピア帝国は
二度のエチオピア戦争を経て、
1936年にイタリアに侵略され、イタリア領東アフリカ帝国の主要部分になり、
1941年にはイギリスによって解放され再独立し体制を替え、名前を替え、現在のエチオピア連邦民主共和国となりました。
1979年の第2回世界遺産委員会会議で文化遺産として登録されました。
特徴
・ファジル・ゲビと呼ばれる丘の上の石造の王宮群は、ゴンダール様式と呼ばれる独特の建築様式を持ち、イスラム建築、インド建築、バロック建築などの影響を受けていて、アーチのある窓やバルコニーの装飾、円蓋を持つ塔などにその特徴が見られます。
・ゴンダールの市街は約900mの城壁で囲まれて、城壁内の建物も堅牢な石造建造物ばかりです。
・ゴンダールの街には4世紀の国教化以来、独自の発展を遂げて来た原始キリスト教~エチオピア正教の聖堂群があって現在は44件が残されています。
逸話・伝説
・短期間の間に街が繁栄した要因として高地の為、イスラム勢力の侵入を防げた事が挙げられます。
・当時の王宮内部にはヴェネツィアの鏡や、中国の絹・陶磁器、象牙などで飾られていたそうです。
・首都ではなく成った現在でも復活祭の前夜にはミサに参加する信者で溢れ、バドという大きな池がある離宮で盛大に復活祭を祝う行事が行なわれています。
登録基準詳細
(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
関連用語
エチオピア帝国 1270年から1975年まで存続したアフリカ東部の国家。現在のエチオピアおよびエリトリアにほぼ一致する領域を支配し、最大版図は現在のソマリア、ジブチ、ケニア、スーダン、エジプト、アラビア半島の一部まで及んだ。欧米のアフリカ分割の最中にあって独立を保ったアフリカ最古の独立国。
ファシラダス帝 熱心なエチオピア正教徒でそれまで続いたカトリックとエチオピア正教との紛争を止め、ゴンダールに遷都した。
皇妃メントゥワブ バカッファ帝の妻。
ハイレ・セラシエ1世 エチオピア帝国最後の皇帝(在位:1930年11月2日~1974年9月12日)。
ゴンダール様式 イスラム建築、インド建築、バロック建築などの影響を受けた独特な美術・建築様式。
エチオピア正教 エチオピアで独自に発展したキリスト教の教会である。エチオピア帝国時代は国教とされていた。東方諸教会・非カルケドン派に分類される。エチオピア正教会はサハラより南で唯一、植民地時代以前から存在するキリスト教会である。
イエズス会 キリスト教、カトリック教会の男子修道会。
カトリック ローマ教皇を中心とし、全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派。
エチオピア戦争 エチオピア帝国とイタリア王国が大きく分けて1889~1896年と1935~1941年の二度に渡り行った戦争。
イタリア領東アフリカ帝国 1936年5月9日に成立したエチオピア、イタリア領ソマリランド、エリトリアの3地域を合わせたイタリアの植民地。形式上では、イタリア王国と同君連合を組む東アフリカ帝国とされていたが、実質上ではイタリアの植民地であった。約5年後に解体された。
バド 宮殿に配された大きな池。
植竹でした。
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今回はエチオピアのファジル・ゲビ、ゴンダールの遺跡群を紹介します!
公式テキストキャッチフレーズ
エチオピア帝国の栄華を今に伝える王都
ファジル・ゲビ、ゴンダールの遺跡群
エチオピア連邦民主共和国
エチオピア帝国の栄華を今に伝える王都
ファジル・ゲビ、ゴンダールの遺跡群
エチオピア連邦民主共和国
登録年…1979年
英名…Fasil Ghebbi, Gondar Region
仏名…Fasil Ghebi
位置…エチオピア北西部アムハラ地方
経緯…N12 36 24.912 E37 27 58.212
面積…―
登録区分…文化遺産
登録基準…(2), (3)
登録ID…39bis
分類…VI(資源保護地域)
公式テキスト分類…アフリカの宮殿・城塞・歴史的建造物
公式テキスト掲載ページ…第①巻246p
公式サイト…ユネスコ本部(英語)
概要
エチオピアの標高2,000mの都市ゴンダールにある王宮群が立ち並ぶ小高い丘で17世紀にアクスムから遷都して18世紀にかけて、ここを首都としていたエチオピア帝国ゴンダール期(ソロモン朝に含まれる)の歴代皇帝たちが居城や聖堂を建造した、200年の繁栄を物語る場所です。
構成
●ファジル・ゲビ
ファシラダス帝の宮殿(城、聖堂、修道院などを含む)…赤い砂岩でできた窓のフレームやアーチなどは現在もほぼ当時のまま完璧な状態で残されています。
ヨハンネス1世の図書館・国璽文書館
イヤス1世帝の宮殿
ダウィト3世帝の歌の館・宴の館
バカッファ帝の謁見の間
皇妃メントゥワブの宮殿…宮殿・聖堂・修道院からなる複合施設。
●ゴンダール
ダブレ・セルハン・セラシエ聖堂など44の聖堂群…エチオピアの典型的な宗教美術様式が見られる聖人のフラスコ画が壁や天井に描かれています。
ラス・ゲムプ…18世紀末に周囲に比べて小高い場所に封建君主のミカエル・セフルによって造られたゴンダール様式の最後の建物。エチオピア帝国最後の皇帝であるハイレ・セラシエ1世が宿所としていた。
歴史
17世紀初頭に、
熱心なエチオピア正教徒だった皇帝ファシラダスはキリスト教カトリックのイエズス会と対立し、ポルトガル人の宣教師を国内から追放し、内戦を終結させました。
※エチオピア帝国は1世紀頃から栄えて、4世紀にキリスト教(後にエチオピア正教となる)を国教化していましたが、イスラム勢力との交戦でポルトガルの支援を受けたのをキッカケにカトリックも流入し、内戦が起こっていました。
更に、それまでの皇帝が居住地を転々として来たのに対し、アクスムからゴンダールに遷都してそのまま定住しました。
1679年~1855年頃まで諸侯による覇権争いが始まります。
18世紀末には皇帝の権力が弱まり、本格的に諸侯が力を持ってる時代が続きました。
1855年頃、テオドロス2世によって国内は再統一されましたが、ゴンダールは破壊に遭い、首都はアジスアベバに遷されました。
(その後、エチオピア帝国は
二度のエチオピア戦争を経て、
1936年にイタリアに侵略され、イタリア領東アフリカ帝国の主要部分になり、
1941年にはイギリスによって解放され再独立し体制を替え、名前を替え、現在のエチオピア連邦民主共和国となりました。
1979年の第2回世界遺産委員会会議で文化遺産として登録されました。
特徴
・ファジル・ゲビと呼ばれる丘の上の石造の王宮群は、ゴンダール様式と呼ばれる独特の建築様式を持ち、イスラム建築、インド建築、バロック建築などの影響を受けていて、アーチのある窓やバルコニーの装飾、円蓋を持つ塔などにその特徴が見られます。
・ゴンダールの市街は約900mの城壁で囲まれて、城壁内の建物も堅牢な石造建造物ばかりです。
・ゴンダールの街には4世紀の国教化以来、独自の発展を遂げて来た原始キリスト教~エチオピア正教の聖堂群があって現在は44件が残されています。
逸話・伝説
・短期間の間に街が繁栄した要因として高地の為、イスラム勢力の侵入を防げた事が挙げられます。
・当時の王宮内部にはヴェネツィアの鏡や、中国の絹・陶磁器、象牙などで飾られていたそうです。
・首都ではなく成った現在でも復活祭の前夜にはミサに参加する信者で溢れ、バドという大きな池がある離宮で盛大に復活祭を祝う行事が行なわれています。
登録基準詳細
(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
関連用語
エチオピア帝国 1270年から1975年まで存続したアフリカ東部の国家。現在のエチオピアおよびエリトリアにほぼ一致する領域を支配し、最大版図は現在のソマリア、ジブチ、ケニア、スーダン、エジプト、アラビア半島の一部まで及んだ。欧米のアフリカ分割の最中にあって独立を保ったアフリカ最古の独立国。
ファシラダス帝 熱心なエチオピア正教徒でそれまで続いたカトリックとエチオピア正教との紛争を止め、ゴンダールに遷都した。
皇妃メントゥワブ バカッファ帝の妻。
ハイレ・セラシエ1世 エチオピア帝国最後の皇帝(在位:1930年11月2日~1974年9月12日)。
ゴンダール様式 イスラム建築、インド建築、バロック建築などの影響を受けた独特な美術・建築様式。
エチオピア正教 エチオピアで独自に発展したキリスト教の教会である。エチオピア帝国時代は国教とされていた。東方諸教会・非カルケドン派に分類される。エチオピア正教会はサハラより南で唯一、植民地時代以前から存在するキリスト教会である。
イエズス会 キリスト教、カトリック教会の男子修道会。
カトリック ローマ教皇を中心とし、全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派。
エチオピア戦争 エチオピア帝国とイタリア王国が大きく分けて1889~1896年と1935~1941年の二度に渡り行った戦争。
イタリア領東アフリカ帝国 1936年5月9日に成立したエチオピア、イタリア領ソマリランド、エリトリアの3地域を合わせたイタリアの植民地。形式上では、イタリア王国と同君連合を組む東アフリカ帝国とされていたが、実質上ではイタリアの植民地であった。約5年後に解体された。
バド 宮殿に配された大きな池。
植竹でした。
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