「座間球場」の謎

 

先日 神奈川県座間市の

座間市民球場を踏破した。

中堅110m、両翼90m、観客席も小さい。

私が感じたのは、

「この球場は違う……」

ということだった。

 

何が違うのかというと、私は、

「昔、イースタンリーグのオープン戦が

座間で行なわれたことがある」

と知っていて、もしかしてこの座間市民球場が

その開催球場だったのではと思っていたが、

実際に球場を見て、二軍とはいえ

プロが試合した球場とは思えず、

違うなと感じたのである。

 

ではどこの球場だったのか。

帰宅して、昔のノートを引っ張り出す。

座間でイースタンリーグのオープン戦の

予定が組まれていたのは

1978年7月4日の巨人―横浜戦と

1979年7月4日の巨人―西武戦と

メモしてあるのを見つける。

いずれも巨人の主催ゲーム。

 

これは昔 野球場の本を作った時に、

過去の二軍戦開催球場を調べようと思い、

『月刊ジャイアンツ』を野球体育博物館の

図書室で閲覧して調べたデータだと思い出す。

(あくまでも試合開催予定であり、

雨で中止となった可能性はある。

実際に開催されたかはまだ調べていない)

 

ベースボールマガジン社の「ベースボール

レコードブック」創刊以前の

二軍戦開催地を調べられる書籍は存在しない。

「オフィシャルガイド」にも開催地は書いてない。

やるならスポーツ紙を全部めくるしかない。

そこで「たしか昔の『月刊ジャイアンツ』に

イースタン日程が載ってたはず」と思い出し、

(40年以上前のことでもこういうことだけは

憶えているバカ)日程だけ調べたのだ。

(そういえば昔は、イースタンの日程は2月と6月に、

前半後半を分けて発表されてたなあ……

こんなこと憶えてるのはもう俺みたいな

年寄りだけだろ……)

 

巨人軍にもNPBにも、この座間での試合について

記録は残って無いと思われる。

一軍オープン戦の記録も残されていないらしいので。

二軍のオープン戦ならなおさらだろう。

この座間での試合に審判員は派遣されただろうが、

公式記録員は派遣されなかったのではないか。

 

そのうち国会図書館に行って、

この座間での試合について、当時の報知新聞、

読売新聞神奈川版、ついでに神奈川新聞に

掲載が無いか調べてみよう。

 

さらに現在の座間市民球場が開場した日を調べると

市のHPにあった年表により1980年11月と判明。

これにより、1978,1979年の試合は

別の球場と確定。

次に、1978年当時の座間市の航空写真で、

球場を探す。ネットは便利だね。

現在の市民球場の場所は空き地になっており、

ほかに市内に野球場らしいものは

東海大相模高校敷地内にある練習球場か、

米軍座間キャンプ内の野球場しか見当たらない。

日産自動車工場?敷地内にも野球グラウンドあるが、

これは単なる草野球グラウンドの様子。

 

もしかして東海大相模の球場でオープン戦を

開催したのか?

当時、原辰徳の獲得に向け、巨人が東海グループ

との関係を築くべく、東海大相模の球場で

模範試合を行なった可能性はある、という推理。

しかし当時のプロアマの関係を考えると

これはさすがにムリか……

 

78、79年、ともに日付が7月4日

というのも気になる。

この日は座間市の市政発足記念日なのか?

調べたが違っていた。

 

7月4日、7月4日……?

アメリカの建国記念日はこの日じゃなかったか?

調べてみたらそうだった。

とするとおそらく、この試合はアメリカがらみ、

座間キャンプがらみと推測される。

ということは、座間キャンプ内のグラウンドで、

建国記念日イベントの一環として

オープン戦を行なったのではないか?

というのが現在の私の推理である。

さて当たっているか?

もしそうなら、読売神奈川版か神奈川新聞か

座間市報か座間キャンプ便りか、

新聞ダネになっている可能性はある。

 

真相はいかに。

国会図書館に調べに行く日が楽しみである。