門田博光氏 死去

 

門田が亡くなった。74歳。

南海ファンとしては忘れられない選手。

全打席ホームランを狙うワガママな打撃は、

弱い南海だから許された。

しかし、走れない門田がヒットで一塁に出ても、

後続に3本ヒットが続かないと点にならない。

そういう意味ではホームラン狙いも許された。

あと、5番打者以下にロクな打者が本当にいなかったので、

門田が決めるしかなかった。その意味でチームと

利害は一致していた。

いずれにせよ、現在もてはやされる「つなぐ野球」とは

正反対の、「全打席ホームラン狙い」。門田の「ワンマン打線」

だった南海は「ゆがんだチーム」といえたが、同時に

それが個性ともいえ、他に類を見ない面白いチームだった。

 

門田はチームを勝たせてくれる四番ではなかった。

他の選手が打てない試合は門田も打てない。他の選手が

打つ試合は門田も打つという感じ。南海ファンとしては

そこが不満だった。周りが打てなくても自分だけは打つのが

四番打者だろうが!と思っていた。試合の流れに逆らって

打てる選手ではなかったと思う。

(余談だが、打線が沈黙しても自分だけは打つ選手として

印象にあるのは、阪急の加藤英。あいつは試合の流れに関係なく

マイペースで打ち続ける選手だった)

 

佐々木誠が入団したての頃、門田が指導した。孤高の門田が

若手を指導するなんて珍しいと話題になった。「鉄は熱いうちに

打てというからな」「俺のメガネにかなうやつはそうはおらん」

とコメントしていた。佐々木は後に好選手に成長した。

門田はスカウトや指導者としての腕を持っていたと思う。

でも球団がコーチに雇いたいと考えるような、

会社が扱いやすいタイプの人間ではなかった。

それでも話は何度かあったらしいが。

 

オレが考える門田のベスト本塁打は、牛島からの一発。

牛島がキメ球のフォークを投げてくる時、牛島がテイクバック

した瞬間に、門田は打席内を投手寄りに移動。

フォークが落ちる前に叩き、サヨナラ2ランとした。

初めから投手寄りに立ってたら、牛島はフォークで来ない。

フォーク勝負と読みきって、打席内移動して打ったところが

この一本のスゴイところ。翌日の新聞は「門田、歩いて打った」

という見出しだった。こんなマンガみたいなホームランは

他に見たことが無い。

 

門田が南海最終戦で泣いたのもよかったな。そんなに南海を

愛してたのか!と思った。オリックスからダイエーに

戻った時の入団会見で、記者から「オリックス時代、ホークスと

対戦するときの気持ちはどうだったか?」と訊かれ、

「そりゃツラかったですよ、自分の故郷に爆弾を落とせと

言われてるようなもんですから」と答えたのもよかった。

そんなにホークスを愛してたのか、門田!

そして門田が設立した社会人野球チームの名前が

「大阪ホークスドリーム」。

これだけで門田のホークス愛がわかる。

こんなにホークスを愛した選手はいない。

お疲れさまでした。