サマーワ1番乗りを目指してイスタンブールに飛んだのが2003年12月末

戦地に向かうはずが、なぜか線路で貨物列車と衝突

ちょうど10年前のきょう、アラブの砂漠での出来事でした

大統領ファミリー専用病院に搬送され、エールフランスのチャーター機でパリへ

数回の手術を経て、それから一年以上に及ぶリハビリの開始

じつは、いまもリハビリは続いています。

でも、十年目のきょう、この日にお礼を言わせてください

アルジェリア人の若者たち、現地の外務省職員と大統領府のみなさん、アメリカン・ホスピタル・オブ・パリのカサノバ医師、NTT東日本関東病院の星野医師、山梨温泉リハビリテーション病院の加藤PTなどなど救出や治療やリハビリにあたってくれたすべてのみなさん、ありがとう

そして、無収入になったフリージャーナリストの私への援助として、貴重な「浄財」を提供してくれたメディアのみなさんに、いま、改めて御礼を申し上げます。

近藤大介さん、大波綾さん、朝日新聞の村山さん、松田史郎さん、朝日新聞の長さん、池田伸壹さん、藤田康雄さん、フラッシュ編集部、前島悠紀子さん、小塚かおるさん、名和くん、増田さん、共同通信の酒井夫妻、平石ひとみさん、文藝春秋の飯窪さん、三木清さん、蟹瀬誠一さん、中村智史さん、青木肇さん、武藤旬さん、渡辺美喜男さん、故・加瀬昌男会長、高橋恵里さん、山村明義さん、ラジオ日本の平川さん、鳩山邦夫さん、持田周三さん、新潮社の吉澤さん、山口一臣さん、石塚ともこさん、故・黒木昭雄さん、槇徳子さん、光文社の坂口さん、平林壮郎さん、佐藤圭一さん、藤田学さん、五十嵐京治さん、藤田ともやさん、大西元博さん、岩瀬達哉さん、日刊現代の黒肥地さん、ラジオ日本の天野さん、小川美那さん、福田裕昭さん、玉川徹さん、有田哲文さん、文化放送の長谷川さん、渡辺彰子さん、大島辰男さん、朝日新聞の宇留間さん、新谷学さん、神保順紀さん、山口太一さん、梅村雅裕さん、渡辺さん、木下英臣さん、三橋麻子さん、五十嵐文さん、石川勝己さん、上田千春さん、文春の宇賀さん、内田麻紀さん、田中孝文さん、岡田洋子さん、森功さん、藤本順一さん、柏木明子さん、布施太郎さん、神林広恵さん、室井佑月さん、木之本敬介さん、久保雄一さん、黒川朋子さん、黒田順子さん、文春の瀬尾さん、二木啓孝さん、故・山本美香さん、原利加子さん、講談社の広部さん、細川隆三さん、三反園訓さん、テレビ朝日の伊井さん、諸永裕司さん、産経新聞の矢野さん、山崎陽弘さん、佐藤賢さん、吉川恭子さん、早川清さん、木俣正剛さん、松井清人さん


本当にありがとうございました。メディア関係の方だけですが、中には亡くなった方、心苦しい関係になってしまった方もいらっしゃいます。また、ここに記していない方もたくさんいます。

しかし「ジャーナリズムで得たものはジャーナリズムでお返しする」という私のポリシーを達成するまでは、さらなる無礼も含めお許しいただきたいと思っています。それにしても、こうして振り返ってみてもみなさんには申し訳ない限りです。

とりわけ、文藝春秋の島田真さん、週刊新潮の許正志さん、小学館の吉田健一さん、ニューヨークタイムズの元仲間たち、鳩山家、および秘書、元秘書のみなさん、妹と上杉家に心の底からのありがとうを言いたい。

とくに、人生の恩人のひとりであるNHKの澤田勝夫さん、わけあって無沙汰していますが、感謝の気持ちは一時も忘れたことはありません。澤田さんの教えに従い、これからも健全なジャーナリズムを作るために暴れていきます

私の身体の中には、まだ大きなチタンの固まりが入ったままです。臀部から太もも、さらには脛にかけての大きな傷も残ったままです(顔面の傷はずいぶん癒えました)。

でも、改めてこうやって振り返って、みなさんの暖かみに触れると、私の痛みはすっと和らぎます。

人としての優しさと、人生で何が大切かをみなさんに教わりました。これからも、10年前のあの痛みと「ご恩」を忘れずに戦っていこうと思います。

最後に、M… 

時は流れ、会うこともないが、「感謝」は忘れない