私の人生設計の中でこの年までの生活は考えていなかったが70年間生きてきた。

1953年7月15日、長男であった勝正が当時のはやり病で亡くなりその初七日が済んで二日後の24日に私が生まれ、悲しみの中にも一つの光明として慰めとなったのだそうで名前も長男の一字をとり巳年に生まれたので勝巳という名前になったそうである。

 故郷、延岡で18年、夢を抱いて上京して50年が過ぎていつしかその夢も当の昔に消え失せて

高校時代からの空手経験を生かして30過ぎから指導をはじめ40歳ころから会社も辞めて空手で生活をするようになり裕福ではないが充実した日々を過ごしてきた。

 3年前には救急車で運び込まれるほどの入院生活を送り、その翌年には今度は違う病気で2週間ほどの入院をするなどして、平凡な毎日でも健康に感謝をして日々を過ごすようになった。

 空手をやっていなかったら何をしていたのだろう?と思うこともあるが、エリートサラリーマンが定年退職をして無気力になったりすることを聞いたりすると

定年のない空手で毎日を過ごされる今の私がなんとありがたいことだとしみじみ思うのである。

 写真は私のアルバムで最初の写真で3歳と書いてあるから、当時では田舎の子はこんなものだったのだろう、私の出発点である。

 神戸の姪っ子が運動靴とTシャツに文字を入れたのを送ってくれた。

頑張り続けて70年・・その横には小さい文字で空手一筋と書かれてある。

 ワンコウも12歳を超えて私のそばで一日一日が貴重である。

これからも感謝の気持ちで過ごすとするかね。