4月29日は姪っ子の結婚式で宮崎まで戻ったが、母親のお見舞いはここ3年ほどのコロナ過で面会謝絶であった。

 5月末、容態急変と連絡があり切符を手配して戻り病院へ向かってPC検査を受けてから面会となったがずいぶん呼吸も荒くもちろん意識もなく、それでもいったん病院を出て実家へ戻っていたら一時間もしないで再度呼び出しがかかり、駆け付けた時にはすでに呼吸停止となっていた。

96歳の大往生である。

 私たちもここ何年かは帰郷しても会うこともできないで過ごしてきたが覚悟はできていたのでこの日が来たか・・・という感じであった。

 このような時期である、家族葬として小規模で行ったが、まだ葬式が行われ家族が集まれただけでも良しとしなければならない。

 ひどい頃は臨終にも立ち会えずだびに付された遺骨だけが玄関に置かれたという話もずいぶん聞いていた。葬式ができたということだけでもありがたいと思わねばならない。

 県外の孫たちも急な知らせにもかかわらず参加してくれたが、ずいぶんと慕われていたようだ。

兄も会社関係にも知らせずひっそりと行いかったようだが、さすがに町内だけにはお知らせだけしたがそれでも結構な人数が訪れてくれた。

 私も関係の人や会員にも知らせず、ただ教室を頼む指導員には事情説明をして戻ってきたので改めての説明は軽く流すだけにしておこうと思っている。

 孫たちも集まっていい葬式であった。

葬式にいいも悪いもあるか、と言われそうだが96歳という逝去を思うと大往生でみんなで送ってあげれたといことを思うと、母も喜んでいるだろうし私たちも感謝で送ってあげれたことが何よりだ。

 荼毘にふして遺骨を拾ってから帰路に就いた。

鶴見に戻ると普段の生活が待っている。

 嫁も予約のお客もの延ばしてもらって詰まっている、私も稽古に戻っての生活だ。

みんなにはお知らせだけでいいだろう、また次に向かって頑張っていくかね。