熱海に行くたびに湯河原あたりを通るとこの近くに頼朝が石橋山合戦で平家打倒の旗揚げをしたときに敗れて逃げ隠れ、しとどの窟で潜んでいるときに梶原景時に発見されて・・・などの歴史で知っていて一度は訪ねたいとずっと思っていた。
石橋山古戦場には昨年行っており、そこから逃げたこの場所は少し離れているのでその時も来れなくていつかは、いつかは・・とそれこそずっと思っていたのだが、ようやく今日そこへ行くことができて何よりの喜びである。
ここも二か所に伝えられているそうだが、一つは真鶴町だそうだが、そこは後日に行くとして今日は湯河原町土肥橸山の方へ行ってきた。車で入り口まで行けてそこから歩いて500mとある。
ワクワクしながら坂道を降りて行った。湯河原からのハイキングコースにもなっているようで行き違った人が二人ほどいた。
ここら千葉へ逃げ延びて改めて攻め上って平家を滅ぼしたという出発点である。
一応、源氏の末裔を自負する私としては興奮を抑えて静かに手を合わせてきた。
今回は、熱海の貸別荘に一泊する予定で来て、行ったのだが、今回はこちらの方はいまいちであった。
泊りの別荘から裏山を上がりいろんな別荘の建売があるところを約1時間かけて歩いたがそれがいい運動であった。
途中で庭作業をしている人がいたのでたまたま声を掛けたら、川崎に住んでいたのだが引退後はこちらに住んで、庭作業などでそれなりによかったが、最近はそれさえもおっくうになってきたといっていたが何となくわかるような気もした。
病院や生活を考えるとこういうところは胴かな、と思っているくらいであるから私は鶴見でいいかね。
正直この先どうなるのかは私にもわからないが、「人間至る処青山有り」だ。