10月27日(火)、さわやかな秋晴れの下、江戸幕末、高杉晋作が建設中のイギリス公使館を焼き討ちしたという場所を訪ねて出かけた。今は郵政宿舎になっているらしいのでそこを訪ねて行った。

 同時にその前まで最初の公使館となっていた高輪の東禅寺にも行ってきた。東禅寺へはJR「高輪ゲートウェイ」駅が近いという。

 初めてこの駅で下車する。降りてはみたがだだっ広いところで回りは空き地が多く国道に出るまで結構な距離を歩いた。今日は、散策が目的なので文句は言うまい。高輪2丁目の交差点から桂坂を上がっていったが、結果論だがもう少し品川寄りに入り口があったんだね。

散歩の達人は迷子になることである、という言葉を思い出して言い訳がましく回り道もまた楽しからずや。

 昔はもっと大きな敷地であったことは見て取れる。工事中もあってさらりと見ただけであった。

焼き討ちをしたという公使館は京急線北品川駅から歩いた。

こちらも登坂で高台にあったという。

 この辺りは昔は「八ツ山」と呼ばれたそうで、小高い丘が八つあったという説や、岬が八つあったとも言われているそうで、明治5年新橋~横浜間を鉄道が走った時は一目見ようとこの山いっぱいに人があふれたそうである。

 ー閑話休題ー

郵政宿舎あたりに行くと、高輪・・・マンションなどとずいぶん多く立ち並び高級感があるようだねぇ。

焼き討ち事件後、この辺りに建てる予定が近くの役所などの反対もあったため幕府も犯人追及も詳しくはしなかっという話も聞いている。

 そこから戻ろうと違う道順を選んだが、国道に出ると品川神社に出会ってびっくりだ。

ここには富士塚があってほんの小さい塚なのだが富士山に見立ててあり、ここに登ることによって富士山に登ったのと同じご利益があるという「富士信仰」があるという。私も電車からよくここが見えて一度は行ってみたいとは思ってはいたが、まさかここに出たとは思いもせなんだ。

 早速一合目から上り始め九合目・・頂上に登って、富士山制覇!実際の富士山にも2度登っているのでここはこれで納得だ。

ちゃんと浅間神社まである、公認なんだろうねぇ。

この裏に板垣退助の墓があるそうだが、つい見落としてしまった。またの機会を待つしかない。

 そこから昔の東海道が残る北品川商店街を歩いてみた。つい先日テレビ番組「アド街チック」で放映されたので少し歩いてみたね。

そういえばここを少し川崎方面へ向かうと「青物横丁」という駅があって、ここの近くの観光バス会社に3年ほど通ってお世話になったことがあったなぁ・・・・あれから40年・・・私の青春でもある。今はこの敷地がご多分に漏れずマンションとなっている。

いろいろと思い出すと話がどんどんずれていってしまう。

 北品川まで戻って京急線に乗って鶴見まで戻ってきた。

秋の優雅な一日を過ごしたようでよかったねぇ。