空手雑誌で「偉人に学ぶ」というタイトルで、連載をしているが、会津出身の知人との話で容保公を書いたらどうだ、などといわれ、確かに歴史では敗者になったが正義を貫いたところもあるので、会津へ行ってみることになり、9月28日(月)嫁の休日に合わせて出かけることになった。

嫁も詩吟を教えている関係で、また地域は違うが福島県出身ということもあって話は簡単にまとまった。

 会津は30年ほど前に当時勤めていた材木会社の社員旅行で行ったことがあったが、武家屋敷での集合写真が一枚残っているだけで記録がないので改めて出かけ今回は写真をたくさん撮ってきた。

 朝の6時半に家を立ったので通勤時間の渋滞には合わずに都内を抜けられたのでスムーズに行けた。

東北道で行ったが途中近道があったので通行料を節約するためにもそちらで行ったが到着時間は10分も違わない。そういうのも旅の楽しみかね。

 コロナ過でもあり平日なので観光客も少ないかと思っていたがまずまずいたような気がする。案内板には中国語や韓国語などが書いてあったので今は相当な減かとは思うが私たちにはゆっくりできて好都合である。

以前訪れた時の鶴ヶ城には会津戦争の時の弾丸跡などが結構残っていたと記憶しているがあれから30年、きれいになっているように感じた。

 ワン公連れなので。交代で天守閣にも登って飯盛山方面を望んだりもした。

そこから、飯盛山へ向かったがここは観光客は少なかった。

白虎隊自陣の地では私たちのほかに一人いたがそろそろ帰るようだったので、ここで私は声を殺しながらも一吟・・南鶴ヶ城を望めば~♪♪感無量であった。

白虎隊の一人が道に迷ったときに家の飼い犬と出会って助かったという話にはうれしかったねぇ。

 その後、会津藩主松平家墓所へ向かったのだがナビでもはっきりしなくて迷いながらもようやくたどり着いて、車から離れていたので私だけお参りをしてきた。

 大名家の墓はとにかく広い、容保公の墓へ向かう途中男性に逢って挨拶をした。ようやく容保公の墓につくと花が活けてあったが今しがた出会った人がお参りに来たのだと思うと今も世話をされているんだねぇ。

 手を合わせた後、容保公に話しかけた。

今でも善人か悪人か議論されているが、殿様とはいえ時代の波に翻弄された可哀そうな人であったような気がする。

滅びの美学が私は好きなのだが、敗者となったとはいえ、新選組を始めとして筋を通して生き正義を貫いた生き方に共感するところもあるのだねぇ。

 そうも思いながら改めて手を合わせてあとにして本日のお宿「庄助の湯・瀧の湯」へ向かって温泉につかった。

今回はGOTOキャンペーンを使わしてもらって35%引きで宿泊できて感謝したね。

 いい宿をリーズナブルに利用できてありがたいことである。お客もおかげで戻りつつあるようでホテル側も話していたが経済復興も大事なことであり、何よりである。