鎌倉の鶴岡八幡宮は皆さんご存知なのだが、そこへ移る前の八幡様があったのは意外と知られていない、と言おうかほとんどの人が知らないであろう。

源氏の末裔を自負する私だから知っているといえることもある。とはいえ、その確たる証拠も太平洋戦争で檀家が空襲にあい過去帳から何から何まで焼失したらしくて何もないのだが、歴史的な資料から私がそう推測していて勝手に名乗っているということをお断りしておかなければならない。

 今の八幡宮は、ご存じ源頼朝が現在の地に勧請したそうだが、その4代前の源頼義が奥州討伐に向かう時に、京都の石清水八幡宮に戦勝祈願をしていて見事討伐を果たした帰りにそのお礼として石清水八幡宮をこの地に移してお祀りしたそうだ(1063年)。

 それから117年後に源頼朝が鎌倉入りをしたときに現在地に移して鶴岡八幡宮となったそうである。

     「鎌倉と源氏はここから始まった」という書き出しでここのホームページには紹介されているが、まさしくそうなのである。

特に頼義とその子八幡太郎義家も大事に保存したそうだ。

義家公が旗を立てたという松も残っている。想像が膨らむねぇ。

 ただ現在の姿は、住宅街にあって社務所もなく寂しいたたずまいを見せているが、大正時代芥川龍之介がこの一画に住んでいたという。

 

もう一か所、線路を渡ってしばらく行くと、八雲神社がある。ここは義家公の弟、源新羅三郎義光が後三年の役に行く途中、鎌倉で疫病が流行っており、その平癒のために、勧請したのが始まりと言われここも由緒ある神社である。

 一般的には知られていないが、ようやく行くことができて今日はとてもいい一日だった。

 こうやって史跡巡りをするのが好きな私には鎌倉は魅力いっぱいの町で暇を見つけてはいきたいところでもある。