11月19日(火)、退院してから一か月、細君が網代温泉に行きましょうということで、なじみのある網代観光温泉ホテルへといってきた。
ここは部屋に温泉風呂があって何度でも入れて大変気に入っているホテルでもある。
ただ、風呂は露天なのでこの時期は少し寒さを感じたね。ワンコウともども泊まれるのでここを重宝しているが、食べ物が豊富でうまい。
食事時は近海で取れたのであろう、海のものがずらりと並び、これで終わりかと思いきや、そのあとにエビや鯛の煮つけなども来て食べきれないのである。それでも強欲なのだろうか、せっかく来たのだからということでついつい無理をしてしまうんだねぇ。
温泉に来ても一度はいれば気が済む私だが部屋付きにあるので計4回も入った。
細君にしてみれば7回も入ったのだという、あきれてふやけてしまうぞ、といったくらいだが、そのくらい便利なのでつい入ってしまうのだろう。
今回は、網代温泉は何回か取り上げているのでこれが主題ではない。
箱根から行く途中、いつも石橋山古戦場入り口を通り過ぎていたので一度は行ってみたいという念願がかなって今回の帰り道ようやく行ってこれた。
歴史好き、特に源氏の末裔を自認する私にしては一度は押さえておかねばならない場所なのである。
時は1180年、源頼朝が平家打倒を名乗って挙兵したがここで敗れて千葉へと退却して改めて千葉県から出直したというがその出発地点なのである。
大変道が狭くて入りにくいところなので過去に何回か見過ごしていたのだが今回は登り口を過ぎてわざわざUターンをして登って行った。
頼朝の家臣,佐奈田(真田)与一義忠がここで撃たれたという神社があり、その時の戦姿のままここに眠っているそうで、平家打倒を果たして鎌倉に入る途中の頼朝がここに立ち寄って忠臣のために涙を流したのだという。
ちなみに、この合戦で敗退して岩屋に隠れた「ししどの窟(いわや)」はもっと山奥になるのだという。
この時に梶原の景時に命を救ってもらった逸話など言い出したらきりがない。
ここの住職がわざわざ出てきてその当時の話でいまだに鎧を付けたまま眠っている、与一候の話などしていただいたが、一気にタイムスリップしたかのようで感激のあまり往時をしのんで涙が出たねぇ。
余韻を残しながらそこを後にしたのだが今回はここを訪ねることができて大変満足の一泊二日であった。
帰りは道路が混むことも無く戻れて約二時間で戻ってこれた。メーターで図っていたら片道74キロほどで心に残る二日間であった。