終戦日の8月15日は東京にいる限りは毎年お参りをしている。昼間行くと大変な混雑で、右翼や左翼の街宣車が来てがなりあい、ゆっくりお参りどころではない。

 そういうことでここ何年かは朝一番に起きて7時に御朱印帳の窓口が開くのを待って記入してもらって戻ってきている。

朝のワンコウノ散歩もあるので、今年は早朝4時に起きて散歩を終え、5時半の京急電車で行かなくては一連の作業には間に合わなくなる。

 普段の人は家の行事でお盆には墓参りに行くだろう、それが国の墓参りだと靖国神社だと思っている。政治的思想など難しいことは何にも考えていない。

 今の私が幸せなのはこのご先祖様が一生懸命に日本のよくなることを願っての犠牲の上に成り立っているのだと強く思っている。

世界を見回してみると、いまだに国の制定もままならず移方住民となってさまよっている人々をたくさんニュースで目にする。

 これはご先祖がしっかりしなかったのだと思うが、それならば今の人が犠牲になってもしっかりと子孫のために残すことが大事だと思っていて、いつまでも人頼みではいけないとは思っているがこれも国民性なのかね。

 そこへ行くと日本という国はありがたい国だと感謝の心をもってお参りしているのである。

 

 本殿の横に行くと、幕末江戸三大道場といわれた錬兵館跡の碑が立っているのだがこれを知る人は少ない。また本日の目的ではないのだが、行った折にはここにもよって幕末のころはこの道場で、桂小五郎や高杉晋作などが汗を流しながら日本の行く末を論じたことだろう。

 高杉晋作が来たかどうかは知らないが碑には書いてあるので引用したのだが、桂小五郎はこの道場の塾頭にもなっているくらいなので活躍したのだろう。この近くに新選組の試衛館道場があって、竹刀剣法に弱い新選組は道場破りが来たときは、この錬兵館に使いを出して小五郎たちが来て追い払い、幾ばくかのお礼をもらっていたという話を何かの本で読んだ記憶がある。

 またここの風呂番に富山県の仏生寺村から来た弥助という人物が剣の天才で、ここの小五郎の鼻をつまんで懲らしめたという話も、時代小説家・津本陽の小説の中に出てくる。こうやってたたずむだけでもいろんな思いが出てしばしたたずむのだねぇ。

 そのほか、本殿入り口に芸能殿があるのだが、この舞台では正月に詩吟の会の出場者として一吟吟じた思いでもある。

  閑話休題

今年の夏も暑かった。早めにお参りを済ませて戻り、高校野球をテレビで観戦した今年の8月15日である。