毎年6月の最終金、土の二日間、鎌倉光明寺において、日向延岡藩内藤家の墓掃除と供養祭がおこなわれ、私もここ6,7年続けて参加している。

 福島県のいわき市から江戸時代中期(1774年)に日向延岡に転封され、明治維新を迎えた延岡の殿様の代々の墓が眠っておられるところである。

 いわき市からは、「いわき奉仕団」の皆さんがバスを仕立ててやってきて、前日の墓掃除を行い、延岡からは毎年有志が参加するのだが、今年はたったの4人であった。

 墓掃除とはいえ、大名の墓ともなると何と3メートルを超えるりっぱなもので、単に墓石とは呼ばないで何というのだろうか、それらがたくさんあって40人前後の人が半日がかりで草を切ったりしてきれいにしていくのである。私は農家の出身なので牛もいたので草刈り作業にはなれてはいたがそうでない人には大変な作業だねぇ。

 その日は光明寺に止めてもらうだが、私は空手教室もあるので一度戻り、翌日改めて出かけて、今度は本堂において内藤家供養祭がおこなわれいわき市長、鎌倉市長、のメッセージが代読され、延岡市長メッセージは私が代読するのである。

 今年はいわき市から「いわきじゃんがら念仏踊り」を子供愛好会の皆さんが奉納してくれた。20名弱のちびっ子たちが、地元の伝承芸能を引き継いでくれる姿には心が打たれるねぇ。

 一連の行事を終えて、きれいになった墓参りを済ませて帰るのだが、境内の隅に高倉健の墓碑を見つけてびっくり、昨年まではなかったような記憶である。遺産相続でごたごたしているとは聞いていたが、浄土宗とも聞いていた。

 半世紀近くも前になるであろうか、一連のやくざ映画では盆と正月には必ず行って浅草や隅田川にあこがれていたものだった。空手部の稽古の帰り道に祝子川(ほうりがわ)のほとりを自転車をこぎながら映画の主題歌をよく歌って帰っていた。

 私の青春だったねぇ。

今年は、あれこれと雑記になりそうなので書き上げた次第である。