望まない妊娠あっても
産んでいただき 育てていただいたからこそ
今 生きているのです。
自分を癒してきたからこそ
今は そう思えますが、小さいころは
生んでくれと頼んだ覚えはない、勝手に産んだんだから
育てるのは当たり前でしょ、と思ってました。
ふてくされて いじけてるのが常でした。
(そして、そういう自分は悪い子だと思ってました。)
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さて、生まれ育っていく中でも大きなトラウマは2つあります。
1つはシャフリング・ベビーだったこと。
シャフリングとは
後ろに手をついて お尻をずりながら
前に進む移動姿勢のことです。
ハイハイをしなかったので
歩行器に入れられていたのも窮屈でした。
「窮屈でした」と覚えているのは
2才近くまで歩かなかったので、歩行器に入れられていたのです。
歩行器に入ってたから 歩かなかったのか
歩かないから歩行器を使ってたのか
事実はわからないし、良い悪いの話ではありません。
とにかく
ふつうではない。
お尻をズリズリして 家の中を移動する
「いざり」ちゃんは 両親の不安を一身に浴びて育ったことは
容易に想像できます。
1か月違いで生まれた近所の子は
もう とっくに歩いてるのに
この子は異常だ、と かなり心配した話は何度も聞きました。
かくして
「ありのままのわたしではいけない」体感覚が
筋肉にギュギュっと埋め込まれていくのでした。
_-----続く。