プロフィールの自己紹介に書いた通り、
私は大の甥っ子好きです(*⌒∇⌒*)
今年の12月で10才。
大人の10年はそれほど違いはないけれど
子どもの10年はとてつもなく大きなものです。
長いこと大人をやってるから
それに気づきませんでした。
いつまでも 子どもぢゃない ってことに。
遊び相手をしてあげなくても
友だちと遊ぶべるし 友だちと遊んだ方が楽しいし。
自分が10才のころを思い出せば
当然のことなのに。
なんとなく
違和感を感じてはいたけれど ( ;゚─゚)ゴクリ
きっと認めたくなかったのかもしれません。
知りたくなかったんだと思います。
あの子がどんどん成長していることに。 (°д°;)
以前、「人が「愛」だと言ってるのは
ほとんどが「執着」なんだよ。」
という話を聞いたことがあります。
そのときは そんなことはない!と思ってました。
・・・でも、 今は
わたしが執着していることがわかります。
執着することが悪い というのではなく
ああ、執着してるんだなぁ と 自覚している感じです。
ずっと仲良しだと思ってたのに・・・・
と、なげく わたしのローワーセルフ。
もっと信頼関係があると思ってたのに・・・
そうだよね。そう思ってたよね。
たぶん
起きていることは
前より 一緒に遊ぶ回数が減ったこと。だけ。
そこに 意味づけして
自己憐憫のストーリーを作り出すのは「ホテルいつものところ」。
で?
今のわたしは どんなふう?
うつむいて 呼吸が浅くなってる。
このまま ずっと下を向いて
哀れなわたしでいることもできるし
顔を上げて ネガティブを吐き出すこともできる。
どんなわたしでいたい?
休日の夜、パソコンの前にいるわたしは何を感じてる?
過去でもなく 未来でもなく 今 ここにいるのは
甥っ子好きのわたし がいる だけ。
できれば甥っ子もわたしを好きでいてほしいけれど
もし 嫌いでも それは仕方のないこと。
あら?ゲシュタルトの祈りみたい ( ̄_ ̄ i)
他人をコントロールできないんだよ。
自分自身も コントロールしなくていいよ。
成長と共に 伯母さんと遊ばなくなった
それはふつうのこと。
それを受け入れがたく さみしさを感じているところ。
さみしいを感じるのは つらい。
でも
わたしは わたしのさみしさと共にいる。
無視しないで。
さみしいよ ・・・(iДi)
いっぱい いっしょに遊んだよね。
ずっと ずっと もっと もっと
いっしょに いたかったよ o(;△;)o
ただ そのシーズンが終わっただけなんだ。
夏が終わるように。
10月だね。
ビェーン。゚(ノωヽ。)゚。チラッ(ノω・ヽ)
また会えるよねぇ。。。゚・(。ノД`)ヾ(-ω-*)ヨチヨチ