そもそも「いくら」って誰の事かというと、別に僕の名前でもあだ名でもなくて、アイコンの写真のチョコタンのチワワの子の名前がイクラなんです
僕は子供の時から犬を拾ってきたり、友達の家で生まれた子犬をもらってきたり、ペットショップで売れ残った子を買ってきたりしては、最後まで面倒みなくて引っ越ししたりする度に親や友人に任せてしまい看取るまでお世話してもらってました😔
なので、もう犬を飼うつもりはなかったのですが、ブリーダーのところで働きはじめた時
ある日生まれたチワワの子犬がオークションに出荷される少し前の離乳時期にだんだん頭が大きく腫れ上がってきたんですね
頭の何処を触ってもぶよぶよの状態で、おそらく水頭症というとこでその子はオークションには出荷できませんでした
そして社長から、「その子は売りに出せないから親から離して殺して」って言われました
まだ完全に離乳していなかったので、親から離されるとお乳が飲めないし、離乳食をあげなければそのまま衰弱するのでそうするように言われました
なぜなら育ってしまうと繁殖には使えないし
売りにも出せないし、ましてや水頭症ならお世話も大変で里親もみつからないだろうからです
ブリーダーとはそういうものと覚悟はしてたけど辛かった
もしその頃保護団体などの保護があれば、もしかしたら保護してもらえてたかもしれませんが、当時はまだブリーダーから保護を受けるような団体はほとんどなかったので、そういう子は情がわく前に死なせるしかなかったのです
しかし、もう目も開いてお乳も飲んでる子を引き離しす事は自分にはできなくて、育ったら育ったで自分が飼うからこのままにしてあげて欲しいと社長にお願いしてなんとか殺さずに済みました
社長的には、そういう子はこれからも定期的に生まれるからそれを引き取ってたらきりがないと言われましたがまだ自分にはプロとして心を鬼にする覚悟はなかったんです
幸い職場は住み込みだったので常に見てあげる事もできましたし
その子の兄弟たちは出荷されていきましたがその子のお世話は続きました
日に日に頭は大きくなり目は飛びでてくるし、離乳食は食べたり食べなかったりなので矯正的に食べさせる時は悲鳴を上げたりパニックで噛んできたりするし大変でした
その子の頭は腫れ上がって異常に大きかったので、バランス的に体が頭にくっついてるみたいな二頭身の状態でした
頭が重いから常にうつむいてる状態て、ご飯の時は頭が重くてさらに下がるので体の方が浮き上がるくらいでした
頭と身体の大きさのバランスがサザエさんに出てくるイクラちゃんみたいだったから名前を「イクラ」にしました
イクラは水頭症特有の、くるくる回ったりとかはなかったですが目があんまり見えてないのかあちこちにぶつかったりしてはぶつかってパニックで泣き叫んだり、一度被害妄想に入るとこちらが何かしてあげようとしても怖がって泣き叫ぶので落ち着くまでしばらく放置するしかありませんでした
それでもすくすく成長しニ頭身だった身体は三頭身くらいになってきました
そんなある日の朝、理由はわからないですが突如頭の形が変わったんです
どこ触ってもブヨブヨだった頭が、カチカチになっていて泉門だと思っていたのがちゃんと頭蓋骨になっていたんです
ただ、頭蓋骨は砕いた岩みたいに凸凹でした
何か体液が頭に溜まっていて脳を圧迫してたのは間違いなさそうで、頭の水が抜けてからも特有の性格は変わることはありませんでした
ただ、イクラは女の子だったので生理がくるとご機嫌になって甘えるようになりそれをきっかけに仲直りしては、また何かをきっかけに怖がるようになりを繰り返す生活でした
そんな生活しながらも、その後迎えた弟のペキニーズのカツオとの暮らしものりこえ、静岡への引っ越しも乗り越え、大阪に帰ってからもイクラとカツオとの3人暮らしは楽しいものでした
しかし
僕が働いていた繁殖場は今で言う悪徳ブリーダーのような環境で、自分がすべてを任されるようになってからは改善できることはすべてやったけど限界があったのし繁殖場は閉鎖することになったので、自分は独立して個人でやれる範囲でちゃんとした繁殖とお世話ができるブリーダーになろうと決めたんです
そこで、独立の準備の為にメインとなる雄犬として迎えたのがコタローでした。正確には瑚太郎と書きます
カツオやコタローの話はおいおいするとして、それをきっかけにイクラの犬生を僕のが終わらせてしまうきっかけになってしまったんです
環境の変化に敏感なイクラは、コタローが来たことで警戒心が強まっていました
それでも普通に生活はできていて、べったり甘えに来てくれる子になっていたんですが、そのせいもあってイクラの本来の性格を僕は忘れてしまっていたんです
ある日普通に携帯いじりながらテレビ見ていたところにコタローを避けながら甘えにきたイクラの上にうっかり携帯を落としてしまい、それにびっくりしたイクラは少しずつ溜まっていたストレスも重なってか久々にパニックになってしまいユニットバスのトイレの裏に引きこもって出てこなくなったんです
また始まったか…と思いつつも、またそのうち出てくるだろうと思ってたんですが、数日してもご飯も食べないし便器のうしろから出てこずおしっこもそこでしてしまうのでだんだ?体も汚れ始めました
さずがになんとかしないとと無理に引きずりだしてはまたパニックになってチアノーゼが出てしまう
それでもとりあえず体拭いて、離してやるとまたトイレに引きこもって出てこず、日に日に衰弱していってるようでした
数日後には元気もなくなってしまったので
パニックになってでも無理やり連れ出しすしかなくて、一度病院に連れて行こうとなんとか捕まえたのですが、チアノーゼで舌は紫になり痙攣が起きだしたので急いで近くにできたマハナ動物病院さんまで走りました
キャリーの中でかすれた声で鳴いていましだが到着と同時に心停止してしまい、先生も最優先で処置してくださいましたが手遅れでした
初診にも関わらずあらゆる蘇生をしてくださったのに費用も受け取らず、脳と心臓は直結してるから急激に脳に負担がかかって心臓が止まったんであろうということも説明してくださいました
たくさん犬を飼ってきて、ペットショップでも繁殖場でもたくさんの死をみてきたけど、自分で飼ってきた子を看取ったのは初めてで、それも自分の些細なミスで状況を悪化させてしまったこと、自分の対応の悪さと知識のなさで死なせてしまった事、最期に怖い思いをさせてしまった事などの後悔と申し訳なさで涙が止まりませんでした
泣きながら帰って、泣きながら仕事して、泣きながら繁殖場の下の花屋さんでお花買って、泣きながら箱につめて、泣きながら火葬場から骨を持って帰って…
カツオとコタローがいなかったらペットロスになっていたかもしれませんでした
結局、その後独立のためにロッキー、ペンペン、パティ、ケロロをお迎えし、もうイクラのような子が生まれないように、生まれても自分で最後までみてあげられるブリーダーになれるようにと準備するしかなかったのですが、そんな時ペットショップ時代に元上司であった保護団体の代表から連絡があって、その団体で働くことになったんです
イクラの話をしたとき、代表は言ってくれました
「何か新しい事を始めようとする時に、自分が負担になると思った子は自分が飼い主の負担にならんように先に逝くんねん」って
その時イクラを負担に思った事はなかったけど、実際これこら自分が独立するとなった時はきっと負担に感じる事になっていたと思う
だからパパがちゃんも仕事に集中できるように、優しいイクラは旅立ったのだろう…
自分が独立なんて考えなかったら、コタローを迎えなかったらイクラはもっと長く生きられたかもしれないしもっと一緒に楽しい時間をすごせたかもしれない
たけどイクラが命の大切さを教えてくれたから保護団体で多くの命を救えたし、イクラと出会ったから「いくらのブログ」が生まれて多くの人と多くの保護犬と出会えたんだよ
もしまたイクラのような子が生まれても殺さなくていい社会になるようにと必死に頑張ってきて、少しは貢献できたと思う
現在はその代表も事故で眠りについたままで、その後団体を引き継いだ人とは考えが合わず団体も本来元代表が目指していた形ではなくなってしまってので僕も離れることになってしまっまけど
イクラも、元代表も、僕に命の向き合い方を教えてくれ大切存在です
だから、その精神は忘れないように、感謝の気持ちを何らかの形にできるように
今いるコタローとロッキーとぺんちゃんとケロたんとで「いくらの家」を守っていきたいと思います
十年前の話なのでだいぶはしょりましたが、そういうわけで僕のブログはイクラがいなくても「いくらのブログ」なんです
いくらのおかげで僕はたくさんの人から「いくらさん」って愛称で呼ばれるようになりました
ほんとにありがとうね…イクラ😌
この家はイクラの家だから、もう痛い思いも怖い思いもしなくていいから
穏やかにずっと一緒に暮らしていこうね
イクラが救ってくれたら命が人々の笑顔と保護犬の幸せの連鎖になるように
「いくらの家」を守っていきたいと思います😁