今年の春頃、車折神社へお詣りした際に、
祈念神石お守りというのをお迎えした。
お守りを手に本殿に向かい願い事をし、
(芸能にご利益がある神社なので、やはり芸事に関する願い事をした)
叶った暁には自宅・河原・山・海などで石をひとつ拾い、
洗い浄めて御礼の言葉を書きお守りと共に返納するというのが決まりなのだが、
実はこの"石を拾う"という点に密かに頭を悩ませていた。
2020年、大変な一年ではあったが、
個人的には学びも多く芸能の面でも成長出来たよい一年だった。
ということは、近いうちに返納しなければいけない。
しかし日々に追われ、
河原や海、山へ行く機会をことごとく逃し、
ましてや自宅はただの集合住宅、
中庭などもなく返納に相応しい石を拾うなどかなりの確率である。
…と思っていた。
ある日、外出しようと玄関を出て鍵を閉め、
収まりの悪い靴をトントンやりながらマンションの裏手に面した手すりの上に目をやると、
小さな石が、ちょこんと、あるではないか!
なんとなくピンと来てササッと掴み、
もう一度玄関の鍵を開け、
拾った石を靴脱ぎの辺りに置いた。
それからというもの、
毎日この石に出迎えられている。
神様にお返しするなら、
床に置いたままもどうかと棚の上に移動させ、
先日など、うっかり「ただいま」と声をかけてしまった。
このご時世、
新年の初詣で訪れるのは難しそうなので、
郵送での返納も考えているが、、
困ったことに愛着が湧いて来てしまっている。
迫る年の瀬。
石ころとの暮らしの終わりも近い。
泣きはしないと思うが、
世間には対物性愛なんてものもあるんだよなあ、と飛躍しまくってみたりして、
なんやかやと先延ばしにしていた私。
そしてベランダに出てふと気付く。
ウチのベランダ砂利敷きやん。
コンクリート製の砂利やけど、これ石やん。
というか、ありがたがって拾ったやつこれやん。
と矢継ぎ早にツッコミを入れ、
それでも消えない僅かな愛着に戸惑う私なのでした。