移動中は専ら、活字の海を漂っている。


今読んでいる小説の文中に、

「ティファニーで朝食を」のホリーの台詞、

"I'll never get used to anything. Anybody that does, they might as well be dead."

に関する記述があった。


トルーマン・カポーティの著書に初めて触れたのは「冷血」

映画の「ティファニーで朝食を」は十代の頃に観たけれど、

その著書に触れたのは、

2006年に公開された映画「カポーティ」の影響だった。


奔放な生き方と幅広い作風のカポーティ、

何故か私の中では、

三島由紀夫と重なる。


日本の作家で一番影響を受けたのは三島由紀夫です。


その思想や政治観に関して言及するつもりはないけれど、

作家としての彼は天才だと思う。


美しく潔い死への渇望がちらちら顔を覗かせるその文章は、

とても官能的で、

若かりし頃の私を捕らえて離さなかった。


阪神淡路大震災で被災し、

東日本大震災の揺れで「死にたくない」と泣きながら過呼吸になったくせに、

私はどこかで死に憧れている。


大切に大切に私を育ててくれた親より先に死ぬようなことは絶対にしないと誓い、

会いたい人にはなるべくたくさん会って、

夢を持ち日々を目一杯楽しんで、

食べることは生きることと同義だと信じて絶対に蔑ろにしない。


かなりエネルギッシュに生きているつもりだけど、

どこかで憧れている。


実はそこに矛盾はない。


美しい死は、

美しく生きることだと思う。


日々輝き貪欲に生きることこそ、

潔く死に向かうことなんじゃないか。


長生きするって、きっと悪くない。


芸道を邁進せんとモチベーションを保つこと、

「死にたくない」と生に執着するのは、

地に足つけて生きていく覚悟だ。


…なんて、

またとりとめのない事を書いてしまったな。


実はね、

約7年の時を経て、

素敵な気付きがあったんです。


人は等しく狂ってる。


そのことに改めて気づいた今日この頃。


死ぬのは今じゃない。


私が覚悟を決める限り確実に保証された、

豊かな人生に胸が躍る新幹線車中でした。