以前投稿したブログで書いていた「疑問」が今日見たネットのニュース記事で解決した。
なかなか興味深く、おもしろい話だ。
ブログ(トミカリミテッドヴィンテージ NEO ホンダ シティR 赤 モトコンポ付 81年式 2023/11/23)
https://ameblo.jp/uenopandasan/entry-12829834693.html?frm=theme
ニュース(知ってた? 三菱鉛筆は三菱グループではない。それなのに三菱マークを使える深い理由とは…)
https://news.yahoo.co.jp/articles/b7e13406776318e8efa649df38c82a48ac1eac2d
<問題の要点>
三菱鉛筆と三菱グループは、まったく無関係な別の会社。三菱鉛筆の公式サイトでも三菱グループにもリンクも張った上で、「当社はこちらのグループ企業ではありません」と書かれている。
「三菱鉛筆」は1887年に眞崎仁六が「眞崎鉛筆製造所」として創業した会社であり、三菱鉛筆が現在も使用している三菱マークは、眞崎仁六が1903年に商標登録したもので、取得したカテゴリーは「色鉛筆、消しゴムつき鉛筆、その他の鉛筆、石筆、ゴム筆、ペン、鉛筆軸、ペン軸」となっている
三菱のマークは家紋の「三鱗」を図案化したものであり、三菱財閥(三菱グループ)の商標登録よりも11年も早かった。
第二次大戦後の1950年、GHQが進めた財閥解体により三菱財閥の多くは三菱を使わない社名に変更し、三菱マークも使えなくなった。このとき、「三菱鉛筆」とその三菱マークも一緒に抹殺されそうになったのだが、当時の眞崎大和鉛筆では社長が先頭に立ってGHQに掛け合った結果、全製品に「非財閥」などと明記する形でブランドの存続が認められた。
現在は
1903年 眞崎鉛筆製造所(三菱鉛筆)が三菱マークを商標登録(鉛筆など)
1914年 三菱合資会社(三菱グループ)が三菱マークを商標登録(鋼鉄など)
という形で両者が同じマークと商標名で共存している状態なのだ。
もしも三菱財閥が先に商標をとっていたらどうなっていたかということもあるが、基本的にお互いに無干渉であったこの両者の関係の中で、三菱鉛筆がコラボにホンダの車を使ったというのは、いろいろと根っこの部分に関する想像が膨らんで面白い。