無罪放免の反省記 -2ページ目

傾向について


人の性格や考え方などは、

日々の生活の中で変わっていくのが普通だ。


だが、

傾向というものは変わらない

と私は思う。




私の場合

肉体又は精神が弱る周期が、

月の満ち欠けと同じくらい正確にやってくる。



どんなに気をつけても、

回避することはできない。




傾向。



それは

ずっとそこにあるのだ。


普段は存在すら感じることができないのに、


朝の光に映し出された

薄い影のように


ある時から

主張をし始める。




ときに暴力的に


ときに執拗に


 

私は完全に

意識の外に追い出される。



成す術がない。




だから

今回も私は途方に暮れている。

食欲について

唐突だが、


私は昨晩から

異常な食欲に見舞われている。



食べでも食べても満たされない。



空腹を感じ、食べる。

食べて、満腹になる。


少し時間が経つ。


また空腹になる。


食べる。


繰り返す。




食欲の"欲"の本体は、私が考えていたよりも

ずっと強力なものであった。



しかし

私は過食症などという

たいそうな病気は持ち合わせていない。




それに通常

食欲は体の内側から湧いてくるものだが、


今度のは

どこか別のところから

やって来ているような気がする。




現在私の中に存在している食欲は、


食べるという行為が

決して幸福なものではないことを警告している。





謝罪について


人は自らの言動において

何かしらの非を認めた場合、謝罪する。

(他人の代わりに謝罪することもあるが)




先日

事務所に記録の数値の誤りを指摘しに行った。


係の職員は実に丁寧な言葉で謝罪した。




しかし

その3秒後にはパソコン上のトラブルのことを持ち上げ、

システム上の誤りはよくあることだと繰り返し言った。



そのとき

私が思ったことは、

100パーセントの謝罪は存在しないということだ。




3秒前の謝罪は

完全に謝罪としての意味を失っていた。



意味を失った言葉たちは

淀んだ運河の中にあった。


それらは

 

ぐしゃぐしゃと

糸くずのように互いに絡まり合い

汚らしかった。