「アーカイブ東日本大震災」ー
僕は、震災翌日から、SNSのフェイスブックやツイッターやブログで毎日。
「被災地の現状と課題」を取り上げて投稿してきました。風化し、感心が無くなった今もそれは、台風10号ダブル被災もあったのでやっています。
震災直後は、「まず、この惨状を誰かに伝えなけば」と思い、携帯電話で記事を書き、画像を撮影していたのです。
電波がなかなか飛ばない。でも、あるいい山の場所をみつけて、時間帯も朝早ければ、送信ボタンを5回押しと、なんとか6回目当たりで飛んでいったのです。
 それが、「被災者自身が現地の様子」、「支援して欲しい事、モノ」をSNSで流しました。そして、画像編集もしてブログ記事にしてることは、これまでの災害ではなかったことです。
このため、これを知ったマスコミがワンサカ来ました。とても、全部の対応はできませんでしたが、あの頃はまともな「NHKのニュースウオッチ9ワイド版120分」、「クローズアップ現代ワイド95分」などで、取材を受けていました。その番組のページが残っていましたので、自分の事でなんですが、紹介したいとおもいます。
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2012年3月1日(木)放送「クローズアップ現代ワイド95分」

【震災データマップ 記録が語る新事実】 
『ことばマップ 被災地からの発信 岩手県・田野畑村 佐々木公哉のインターネットでの現地からの発信』

「2011年3月24日。家族と犬のタロウは無事です。
これからが大変ですが頑張っていくしかありません」
震災翌日から、SNSのフェイスブックやツイッターやブログで毎日のようにことばを発信し続けた岩手県・田野畑村の漁師、佐々木公哉さんです。
津波によって港は破壊鉄道も寸断され村のライフラインはずたずたになりました。
かろうじて難を逃れた佐々木さんは、携帯電話など残されていた通信手段を使って地域の被災状況や避難所の様子を発信し続けました。
3月23日のブログより
「死者17名、行方不明者、47名。沿岸部は家が5%しか残っていません。 船、車を含む瓦礫の山。」

記事の最後には必ず「転載や拡散をお願いします」と書き添えていました。

「俺にできるのは被災地の現状を世間の人に知ってもらおうと
やっぱり被災地のことを世論に訴えるっていうか。大事だと思ったのです」
 佐々木さんは、避難所に行って、カップ麺などの食料だけが来るために、「ホントは今何が必要なのか?」そのニーズを聴いて、早速SNSのフェイスブックやツイッターでドンドン流したのです。

「拡散希望」ー至急! 女性の生理用品、下着、男性の下着、靴下、グック靴、学用品。それと古着でいいので、トレーナーとかの着るものを下記避難所の住所まで送ってください。

 この発したことばはやがて意外な結果として返ってきました。
ツイッターやブログを見た全国の人々から次々と支援物資が送られてきたのです。
村役場が調達することが難しかった女性用の下着や学用品など避難所のニーズに合った物資が村全体に行き渡るようになりました。
「びっくりしたわけですよ。ありがたいです。
一人歩きしてるんです。(物資を送ってくるのが)友達の友達 友達の友達ってシェアやRTされてドンドン拡散しました。 俺の分からない人たちになってしまった」役場から「ストップしてくれ」と言われても、知れが出来ないのです。そのため、余った物資は近隣市町村に回したのです。喜ばれたのです。

しかし、全国の人々の関心は、次第に被災地から離れていきます。
全国で発信されることばのうち「被災地」「救援物資」といった震災関連のことばの割合が急激に落ちていったのです。
そんな中、田野畑村の佐々木さんは、積極的に情報を発信することで支援の輪を持続的に広げていきました。

●ことばマップ 支援の輪どう作る
 漁船のほとんどが流された村の漁業を再建するために、唯一残った網を使って何かできないかそう全国に呼びかけたのです。
すると、すぐに反応がありました。
 東京に住むこちらの女性は網を使ってストラップを作り販売することで寄付金を集めることにしました。
長野では、主婦が集まって復興への願いを込めたミサンガと呼ばれるアクセサリーを作り買った人たちの間にも支援の輪が広がっていきました。
さらに愛知では、佐々木さんのブログを英語に翻訳し世界に発信しようという人まで現れました。
山中光正さん
「リアリティが全然違うでしょ!
現実はやはり言っていかないといけない 佐々木さんは、はっきり言ってますよね。全然全く、ほんとうはまだ復興してないよと」

佐々木さんのブログの読者は、アメリカ、インドなど世界10か国以上に広がりました。

●ことばマップ 被災地 心の変化
ところが震災から半年たったころ、被災地では人々の発することばに変化が起き始めます。
震災直後から続いていた「がんばる」などの前向きなことばの発信が減少し代わりに「億劫(おっくう」や「虚しさ(むなしさ)」といった切実なことばが増えていきました。
この時期、佐々木さんのブログやツイッターにもそれまでほとんどなかった消極的なことばが並ぶようになっていました。
「何も考えたくない。何も書きたくない気分です。
パソコンの前に座ることすら億劫(おっくう)です」。

佐々木さんの周囲では、被災した知人が将来への不安から自殺に追い込まれるなど深刻な事態が続くようになっていったのです。

「きのう、漁師の先輩が自殺していました。
なんで死を選択したのか…」。
11月半ば以降、ブログのことばが途絶えました。
しかしそんなとき、佐々木さんに力を与えてくれたのは日本、そして世界各地からの「ことば」でした。

・「不安で心細かったきんちゃんの気持ち痛いほど分かる気がします」
・「東北の天気を見ても被災地の報道を見ても毎日、きんちゃんのことは思い出していますよ」
・「私たちが世界中で力を合わせれば、あなた方の心の傷はきっと癒せるでしょう」

佐々木公哉さん
「感動といいますかね うれしいじゃないですか
『応援してます』って言われるとやっぱりしびれますね~。
心の支援といいますかね 心の支えになってるは確実なんです」

【震災からまもなく1年】
 佐々木さんは今も毎日のように被災地のことばを発信し続けています。

【震災データマップ 記録が語る新事実】
 ゲスト西條剛央さん(ふんばろう東日本ぷろじぇくと代表)、内橋克人さん

西條さん:やはり加工されてないというんですかね、生の、現地のリアルなことばが心情とともに発信されたということが、やっぱり響いたのかなと思いますね。
 僕らも支援活動を続ける中で、すごく先ほどのデータは、なんというか、腑(ふ)に落ちるところが大きくて、やはり、僕らのサイト自体も4月、5月、6月ぐらいは毎月200、三百何十万PVとかあったんですけど、夏ぐらいからぐっと、アクセスがすっと下がって、やはり僕らのスタッフも疲れが出てきましたし、あるいは支援する側も、やっぱり疲れだったり、ちょっと生活に戻りたいっていうような感じが見受けられましたね。

●いま求められる被災地支援とは
 やはり物資のほうも、どんどんある時期を過ぎれば、食べるものだけから、爪切りが必要だとか、多様化していくわけですね。
そういったときは佐々木さんのやられたことというのは、すごいすばらしいことだと思うんですけれども。
 ただ、ああいうケースがあちこちで起こったわけではなくて、やはりかなり珍しいケースというか、情報発信することもできなかった方々が多かったので、僕らがそれを仕組みとして整えて、3000か所以上の避難所とかにできるようにしたわけですけれども。
 今はそういった物資もまだ必要としている方もいるんですが、ポイントとしては、やはり仕事、それから子どもたちの学習支援ですね、それから心の支援という、この3本柱に移ってきているのかなと思いますね。

やはり、復興の一番前提条件になるのは人だと思うんですね。
人がいるということ。
人がいなくなってしまうと、復興は成立してしなくなってしまうんで、そのためにも、仕事、それから子どもたちの学習の面を心配して、外に出られる方も多いので、そこで戻ってきても大丈夫ですよというところを、一刻も早く整備していく必要があるんだと思いますね。

●長期的な支援 これからの課題は
西條さん:やはり、こういった番組も含めてノウハウを残していく、あるいは僕らが活動を通して気付いたことっていうのを残していくっていうのが大事だと思うんですが、その中でやはり、いくつかあるんですけれども、赤十字の、あるいは国の家電の支援っていうのが仮設住宅に入っている方を中心に行われてるんですが、自宅に戻られて暮らしている方には、そういった支援がないんですよね。
今、仮設を出ようとすると、備品の家電は置いていかなければいけないんですね。
これはやはり僕は、方針を変えるべきだと思っていて、持っていってもいいですよというふうに変えるべきだと思いますし。
あと、先ほどの全国に散らばった避難者の厳しさというお話もありましたが、やはり個人情報保護、これがすごく大きな壁になって、支援したいという団体、NPOが支援したくてもどこにその人たちが散らばっているのか分からなくて、できない状況なんですね。
こちらもやはり、市民を幸せにするための法律のはずですから、この有事においてはもう少し弾力的に運用する仕組みに変えていくべきだと思いますね。

内橋さん:被災者は人間としての自分の存在ですね、そのものを否定されたような、そういう危機感にとらわれているわけですね。
それを支える。
阪神・淡路大震災から17年、時代の変化っていうね、ものすごく大きく感じます。
情報化時代がここまで進んで、被災者個人を支える。
しかし、これがことばはちょっとはばかられますけど、一過性ではなくて、社会の制度として、この悲惨を本当に体験した人々が生きている間に、仕組みをきちんと作る、それは生き残った人々の本当にやるべき責務、本当の責任、生き残った人々の。
私はそういうふうに思いますね。
記録とか記憶というのは、どちらも大変に大事だけれども、やはりどうしても、社会の仕組みとして作り上げておいて、そしてそれを継続していく。
そのことによって救われる。
ここへ束ねていらっしゃろうとしてるんだと思いますね、西條さんは。

西條さん:関連死、震災関連死で1000人以上の方が震災以後に亡くなられているんですね。
これはやはり、防げた、せっかく生き延びた方々が尊い命が亡くなられてるんで。
これを例えば、仮設住宅も石巻市は10月になってすべて完成して、長引く避難所生活で亡くなられてるんで、これをトレーラーハウスにして、1棟550万円以上かかってるわけですから、立派なトレーラーハウス、買えるわけですね。

そのぐらいのお金があれば、やはり全国に、仮設住宅、トレーラーハウスを配備しておいて、何かあったらすぐ集めれば、すぐにでも作れるはずなんですね。 そういう仕組みですね。
そういうものを整えていくことがこれからの使命なんだと思うんですけどね。
ーー続くーー