http://www5a.biglobe.ne.jp/~t-senoo/Sensou/shudan_jiketu/shudan_jiketu.htm

玉砕場における集団自決の惨状

住民の持つ手榴弾

自決を描いた画(1)

自決を描いた画(2)  昭和20年3月下旬、突如現れた大艦隊のアメリカ軍が、27日には渡嘉敷島に上陸する。住民は、アメリカ軍上陸の直前に北へ逃げていた。集団自決が起きたのは、その翌日のことだった。人々はどしゃ降りの中、およそ7kmの険しい山道を夜通し歩き続けた。小さな子供の手を引く母、お年寄りを背負って歩く少年、暗闇の中、誰もが無言だった。後に玉砕場と呼ばれる北の谷についたのは、翌28日の朝だった。

 およそ700人の住民が集まった。このとき、人々は手榴弾を手にしていた。自決用に住民に渡っていた。午後3時、村長の天皇陛下万歳の声を合図に、住民たちは一斉に手榴弾で自決を試みる。しかし、その多くは不発、その事が更なる悲劇を起こした。

 その時、何が起きたのか。生きのびた人が、玉砕場で目撃したことを語ってくれた。
「斧や鍬を持って暴れまわる者、刃物を持ってやって歩く者。ほんとに人間の仕業でなかった。」「血を流してへなへなっと死んでいく人もいるし、青白くなってガタンと行く人もいる。あっちでもこっちでも。地獄。この世の地獄とは、ああいうことを言うんでしょう」。