10月末に今年3度目となる沖縄に行ってきました

27日の早朝6時前に宜野湾を出て高江に!

その前に名護署に立ち寄り拘束されている仲間の激励も💖

さてこの日の高江は平日ということもあり
座り込みに参加していたのは30人弱

いつもはアピールとなるとなると逃げ回っているのですが逃げ場がなくやってきました

ところでこれを読んでくださる方の中に
高江で反対派が暴動を起こしていると本気で思ってる方はいらっしゃるのでしょうか?

週刊誌や新聞、テレビでは決してまともに書かれている記事はありませんがいかがでしょう?

この日の参加者の半数以上が60代以上のおじぃおばぁです

中には沖縄戦でサイパンに移民して沖縄に帰ってきた84歳のおばぁの姿も…

ほぼ毎日高江に来て座り込みに参加しているというこのおばぁ

あの悲惨きわまりない沖縄戦を生き残った者の務めとしてこのヘリパット建設は現代の沖縄戦だ!

権力による反対派住民への強制排除や不当逮捕には絶対屈しないと語彙を強めて話します

さて実際のごぼう抜きの様子を。。。

これが始まったのはたぶん9時(時計の確認を忘れました)

機動隊員が座り込んでいる私たちの前後に立ちはだかります

10 人ずつの隊列が2列ずつ一斉に見下ろされる様子は不気味というか威圧的というかそりゃ感じのいいものではありません

機動隊員の顔を改めて見るとまだあどけなさも残る10代にも見える顔立ちの人も

そして悪名名高い大阪府警機動隊員の姿もありました

以前は機動隊員も名札を付けていたのにいつのまにか名札が消えているという事実も。

さてごぼう抜きの瞬間は…

機動隊「歩ける方は歩いて移動してください」と何度かの促しがありましたが私はもちろん歩いて移動することはしません

4人に囲まれ一言も声を掛けることもなくただ ただ無言で一人一人が肩、足を担がれ移動させられました

たまたま下ろされた場所がぬかるみだったのをおばぁが見逃すことがなく
「どうせ下ろすなら濡れていない場所に下ろせ!」と叱責の後はぬかるみに下ろすことなく乾いた場所に残りの方を移動していきました

時間にして約1時間半

全員が移動させられるとこれまた目の前に
隊員たちが目の前に並びます

道路の向こう側に行く時も声を掛けての移動です

目を合わせることは全くなく話す言葉もない
田んぼの中の案山子です

もちろん話しかけました

「貴方たちのおじぃやおばぁや母親や父親のような無抵抗の私たちを上から見下ろし監視するだけの仕事は楽しいですか?」

「警察に入った初心は無抵抗の住民を排除するのが目的で入隊したのですか?」

「地元に帰って周りの人に自分の今やっている仕事を胸を張って言えますか?」

「ただの案山子のような仕事になんの意味があるか考えたことはありますか?」などを繰り返し返事のない問いかけを続けました

隊員の表情は能面のように冷たいままの人もいれば

まばたきの数が増え目に光るものを堪えているような人いました

恐らく上からなにも言うなのお達しが出ているんだと思います

それを忠実に守りやっているだけの彼ら

毎日人が入れ替われどこういった言葉を投げ掛けられ続ける彼ら

もう一度自分の今やっている仕事のこと見つめ直して欲しいと思ってなりません

最後に【高江で反対派住民が暴動を起こしているというデマを流す方へ】

私たちは最後の最後まで非暴力で闘っています

本当に高江の今を知りたい方はどうぞ
現場に足を運んでごぼう抜きを体験してきてください

政府発表のものとSNS などで拡散されているこちらのものをご自分の目でしっかり確かめて欲しいと思います

権力による沖縄苛めは絶対に許せることではありません

沖縄戦で本土は捨て石に利用しました
そして本土の平和の為にあんな小さな島の沖縄に米軍基地を押し付けています

沖縄だからしょうがないんですか?

沖縄だから基地があってもしょうがない?

なんでもかんでもしょうがないで押し付けたまんまでいいのですか?

戦闘機の爆音の中で暮らすのもしょうがない?

~だからしょうがない!

しょうがないから何もしない?
しょうがないから何も見ない?
しょうがないから何も聞かない?

しょうがないが最大の差別用語だと気付いてますか?

いまの日本の平和は沖縄の悲しみにの上にある偽物だということに気付いてください

最初から時間稼ぎの為に行われた
日本ではじめての地上戦のこと忘れないでください

県民の4人に一人が亡くなった最悪の戦争

そして戦後71 年経った今

権力と非暴力とのリアル戦争が今高江にあります

9条では決して守ることが出来ないこの沖縄の高江に今一度向き合って頂けたらと強く思います